TOHOシネマズなんばで「ボルベール<帰郷>」

mike-cat2007-07-03



〝ママ、話したいことがヤマほどあるの。
 女たち、流した血から、花咲かす。〟
「トーク・トゥ・ハー」「オール・アバウト・マイ・マザー」の、
ペドロ・アルモドバルが、郷愁と女性賛歌を描いた最新作。
主演は「オール・アバウト・マイ・マザー」
「オープン・ユア・アイズ」ペネロペ・クルス
昨年のカンヌ映画祭で女優賞(クルスら6人)、脚本賞(アルモドバル)、
アカデミー賞では主演のペネロペ・クルスが主演女優賞ノミネートを受けた。


10代のころ、疎んでいた母を突然の火事で失ったライムンダ。
ろくでなしの夫パコと、15歳の娘パウラとともに、
せわしない毎日を送るライムンダが、とんでもない事件に巻き込まれる。
そんなさなか、飛び込んできた叔母の逝去の報せ。
叔母の葬式で、ライムンダの姉ソーレが、
亡くなったはずの母が生きているとの噂を聞きつける。
わかりあえないまま、別れを強いられた母への想いが、胸を締めつける。
事件の行方は、そして母の死の真相は―
アルモドバルの故郷ラ・マンチャを舞台に
涙と笑いで綴る、女たちの秘密、皮肉な運命、そして愛…


「トーク・トゥ・ハー」「オール・アバウト・マイ・マザー」に続く、
女性賛歌3部作、最終作にして最高傑作、だそうだ。
この〝3部作〟のくくりって、どうにも日本の配給会社が勝手につけた感じで、
トーク・トゥ・ハー」は女性賛歌だったっけ? という疑問がひとつ。
さらに、最高傑作、という惹句も、配給会社の常套手段とはいえ、
もはや名作といっていい「オール・アバウト・マイ・マザー」や、
あの鮮烈な感動に圧倒された「トーク・トゥ・ハー」以上の傑作というのは、
少々やり過ぎのキャッチコピー、という印象は否めない。


だが、そんな過剰さに戸惑いつつも、映画の味わいはしみじみ深い。
ラ・マンチャの強烈な東風の中、女たちが墓地を清掃する冒頭の場面から、
スペインが誇るフラメンコ歌手、エストレージャ・モレンテの吹き替えで、
ライムンダが歌い上げるアルゼンチン・タンゴの名曲「VOLVER」の場面、
そして、母娘の〝帰郷〟を描くラストに至るまで、
いかにもアルモドバルらしい、ユーモアとペーソスが散りばめられている。


登場する女たちの優しさと激しさだけでなく、
がさつさとおおらかさ、そして繊細さを、あるがままに描く。
絵空事の女性像ではなく、ヘンに美しすぎない女たちの姿は、
むしろ、リアルさと力強さを伴い、ひとつ上の次元の美しさを醸し出す。


そんな中で感じるのは、ペネロペ・クルスが、一皮むけたという印象だ。
もちろん、これまでもいい女優であったことは間違いないのだが、
その美しさ、激しさに、さらに慈愛に満ちた母性や、強さが加わった。
確かに年輪を重ねた分、かすかな皺や、肌のくすみは見えてきた。
だが、その皺やくすみすら、美しさとして取り込んで、輝いているようにも見える。


ライムンダの姉ソーレを演じたロラ・ドゥエニャスも抜群にいい。
「海を飛ぶ夢」「靴に恋して」といった作品でも、渋い輝きを放っていた女優だが、
この作品では、ペネロペとのコントラストで、よりその魅力が光っている。
同じくアルモドバル作品の「神経衰弱ぎりぎりの女たち」にも出演した、
母イレネ役のカルメン・マウラのとぼけた味もいい。
悪戯めいた笑み、そして包み込むような慈しみの視線…
まさしく、母の、女の郷愁を体現したような、名演だと思う。


ひとつひとつの場面もそれぞれに、ドラマを戦列に彩っていく。
印象派の絵画のように強調される、食べ物の調理シーン、
不作法なまでに鼻をクンクンさせる場面での、臭いの存在感、
赤裸々に、しかもあっけらかんと描写される放尿シーンの音、
やたらとこだわって映し出されるペネロペの胸の谷間など、
一つ間違えば…、なアルモドバルらしい?画?が、何とも楽しい。


いえなかった秘密が明かされ、胸に抱えたしこりが消え去っていく。
ラ・マンチャの女たちの生き様に、思わず目頭が熱くなる。
最高傑作かどうかはともかく、やはりアルモドバルならでは、の素晴らしい映画。
圧倒的、というわけではないが、静かな感動がまた、よかったりするのだった。