敷島シネポップで「アポカリプト」

mike-cat2007-06-18



マヤ文明、崩壊前夜。
 我々は驚異の世界の目撃者となる!〟
「パッション」メル・ギブソン
がまたも問題作を送り出した。
文明崩壊前夜の中央アメリカ、マヤを舞台に、
とびっきりのバイオレンスを詰め込んだ、アクション超大作だ。


16世紀、文明崩壊前夜のマヤ―
若き狩人、ジャガー・パウは、森林の奥地の村で平和な生活を送っていた。
だが、そんな平和な村を、マヤの都会から訪れた傭兵たちが襲撃した。
殺戮と略奪、そして陵辱の限りを尽くす、暴虐の徒に、蹂躙される村。
ジャガー・パウも神への生け贄として、街へと連れていかれた。
待ち受ける残虐な儀式、そして恐ろしいゲーム。
危機一髪で難を逃れた妻子のもとへ、ジャガー・パウは戻ることができるのか―


この映画、これ以上ないシンプルな物語である。
1.平和な村が、邪悪な敵に襲われる
2.危機一髪で難を逃れる主人公
3.苦難を通じての主人公の成長
4.邪悪な敵との最後の対決
と、そのまんまチャートにできる、わかりやすい勧善懲悪のドラマ。
おそらく、過去にも何度となく映画化されてきたストーリーでもある。
思えばメル・ギブソン出世作「マッドマックス」も、同じといえば、まるで同じ。
度肝を抜くような残虐描写、という面も含めて、である。


そんなありふれた物語を、ありふれた設定で作品化したら、
ストーリーやアクションにひとひねりもふたひねりも必要となる。
だが、作品の舞台をかつて16世紀のマヤ文明に置いたことで、
大胆なくらいストレートな物語を作りあげることができた。
メル・ギブソン、完全な作戦勝ちである。


現代を舞台にしていたら、やや過剰にも感じられそうな残虐描写も、
死生観も、世界観も、倫理観も大きく違う、この舞台設定なら、さほど違和感はない。
目を背けたくなるような場面が次々と映し出されても、
(あくまで何となく、なのだが)それはそれ、として受け止められるのだ。


とはいえ、そんな中でもアクションの切れは作品の成否を分けるのだが、
この作品のアクションの圧倒的なスピード感、臨場感は革命的といってもいい。
デジタル撮影を駆使した、動きのある場面の連続で、
冒頭の狩猟シーンからクライマックスまで、観るものはただただ画面にくぎづけになる。


その最大のクライマックスは、邪悪な敵が倒される場面だろう。(当たり前か…)
この敵を倒すシーンには、個人的にこだわりがあって、
とびっきり憎々しい敵が、とびっきり悲惨な最期を遂げるのが最高のカタルシスである。
これまででもっとも印象に残っている作品のひとつに、
ヴァンサン・カッセル主演の「ドーベルマン」でのチェッキー・カリョの最期がある。
だが、あれはあまりにイッちゃいすぎていて、ある意味爽快感には欠けていた。
だが、この映画のクライマックスには、思わずガッツポーズが出てしまった。
最後の一撃の重量感、そして残酷度、そして爽快感…、もう文句なしである。


そして、そんな最高のカタルシスを経てのほろ苦い余韻。
「新しい始まり」を意味する、タイトルの「アポカリプト」が指すいくつもの始まり…
シンプルそのものだったストーリーに、
ダニエル・デイ=ルイス主演の「ラスト・オブ・モヒカン」にも通じる、複雑な感触が加わる。
思わず、なるほど、とうなる映画でもあったりするのだ。
有名なスターは全然出ていないが、これはとにかくすごい。
残虐シーンに耐えうる心臓があるなら、見逃せない1本である。