なんばパークスシネマで「ゾディアック」

mike-cat2007-06-17



〝この暗号を解いてはいけない〟
アメリカ犯罪史上初の劇場型犯罪ともいわれる、
ゾディアックによる連続殺人を題材にした、
ロバート・グレイスミスの原作「ゾディアック (ヴィレッジブックス)」を、
「セブン」「ファイト・クラブ」デヴィッド・フィンチャーが映画化。
ゾディアックに魅せられた主人公グレイスミス役には、
「ドニー・ダーコ」「ブロークバック・マウンテン」ジェイク・ギレンホール


1969年、カリフォルニア州北部、ベイエリアをある連続殺人犯が震撼させた。
バレーホ、ナパ、そしてサンフランシスコ―
「ゾディアック」を名乗る犯人は、犯行声明と暗号文を地元新聞社に送りつけた。
犯人が投げかける謎は警察を、メディアを惑わし、そして惹きつけた。
事件を担当したサンフランシスコ市警のトースキー刑事、
サンフランシスコ・クロニクル紙のエイブリー記者、イラストレイターのグレイスミス…
彼らはゾディアックにいつしか取り憑かれ、蝕まれていくのだった―


デヴィッド・フィンチャーが、またもやらかしてくれた。
デビュー作「エイリアン3」以来、駄作と傑作(問題作)を交互に繰り出すフィンチャーだが、
(あくまで個人的な印象、なのだが)
「パニック・ルーム」以来5年ぶりの新作ということで、今回は傑作の番である。
(あくまで個人的な予想、ということで)
かなり期待していたのだが、それに違わぬ傑作にして問題作の登場である。


グレイスミスの原作は一応、真犯人解明の仮説を立てたノンフィクション。
そういう意味では、ジム・ギャリソンの「JFK―ケネディ暗殺犯を追え (ハヤカワ文庫NF)」を原作にした、
オリバー・ストーン監督、ケビン・コスナー主演の「JFK」と同じである。
だが、「JFK」がケネディ暗殺の真相究明と、軍産複合体への告発だったのに対し、
「ゾディアック」は真犯人解明という縦軸でストーリーは進行するが、
謎そのものより、むしろそれに取り憑かれたグレイスミスらを描くのが主体となっている。


だから、というわけでもないのだが、
この映画、ほとんどカタルシスらしいカタルシスがない。
残虐な手口で、次々と犠牲者を血祭りに挙げていくゾディアック。
だが、その姿は、恐ろしいほど淡々と描かれていく。
その、じわじわとした静かな戦慄は、スピルバーグ「ミュンヘン」のそれにも近い。
そして、事件は闇に包まれたままだ。
コピーキャット模倣犯)に、嘘の告白、そしてゾディアック自身によるなりすまし…
犯人の姿が見えてこないばかりか、深まるばかりの謎。
そんな苛立ちが伝わってくるところも、
まるで、事件そのものの実際の手触りのようだ。
関わったグレイスミスらが、徐々に破滅していく理由が、ホントよくわかる。


フィンチャーとしては抑えめの映像も抜群にいい。
撮影監督は「ゲーム」「エレファント」のハリス・サヴィデス。
ゴールデンゲートブリッジの映像なんかは思わずグッとなるが、
そうした派手な画作りに偏ることなく、
地味な映像を丹念に積み重ねていくことで、
より印象的に、霧に煙ったリアルなベイエリアを映し出す。
当時のサンフランシスコを思わせる雰囲気づくりは、
(実際のところは知らないが)とてもリアルに感じられる。


主役がすこしズレたイラストレーター、グレイスミスというのもいい。
まるでマニアのようにゾディアックに取り憑かれるグレイスミスを、
レンホールがいい感じに変人っぽく演じているのが、また味わい深い。
しかし、それ以上にエイブリー記者を演じたロバート・ダウニー・Jrが猛烈にいい。
近年は「グッドナイト&グッドラック」「スキャナー・ダークリー」など、
プライベートのイメージがどうしてもつきまといがちだが、
それをうまく役の上で生かし、ゾディアックに人生を狂わされた男を好演している。
あのやさぐれた感じ、もう何ともいえない魅力である。


トースキー刑事を演じたマーク・ラファロの消耗ぶりもいいし、
グレイスミスの妻を演じたクロエ・セヴィニーの冷たい視線もたまらない。
ほかにもダーモッロ・マローニー、イライアス・コティーズ
ジョン・キャロル・リンチブライアン・コックス
主役こそ張らないけど、どこかで必ず強烈な印象を残す名優がめじろ押し。
そんな役者連中の熱演だけでも、もう唸りたくなるような作品なのである。


ラストの余韻は、これがまた絶妙に後味が悪い。
だが、その後味の悪さこそが、この映画の、そしてこの事件のツボでもある。
そのスッキリしない部分こそが、40年近くを経たいまでも、
ゾディアックが人々を惹きつける理由でもあるのだろうと思う。
そして、こんな映画をメインストリームの作品で撮ってしまう、フィンチャーにも脱帽である。
問題作だとは思うが、間違いのない傑作だ。
胸に残るのは、ざらりと不快でありながら、
どこかそれが心地よい、不思議な気持ち、といった感じ。
そんな不思議な感覚に包まれる、珠玉の一本なのだった。