テアトル梅田で「明日、君がいない」

mike-cat2007-05-12



〝2時37分──
 そのとき孤独が世界を満たす。〟
カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品作品。
〝それぞれに深い悩みを抱える10代たち──
 自ら命を絶つのはだれなのか?〟
オーストラリアの高校を舞台に、
ミステリー仕立てで描いた10代たちの哀しみ。
監督は〝カンヌを驚愕させたアンファン・テリブル(恐るべき子供)〟、
19歳でこの驚くべき作品を作りあげた新鋭、ムラーリ・K・タルリ。


オーストラリアのとある高校、陽光あふれる午後2時37分―
ひとりの高校生が、若き命を自ら絶った。
だれが… どうして…
マーカス、一流弁護士の父に心酔する、成績優秀な生徒。
メロディ、両親との関係に不安を抱える、マーカスの心優しき妹。
ルーク、女子生徒の憧れを一身に集めるサッカー部のヒーロー。
ショーン、ゲイであることを明かし、周囲から浮き上がるマリファナ常習者。
サラ、愛に生きることを誓った、ルークの恋人。
ティーヴン、泌尿器に障害が原因で陰湿ないじめを受ける、転校生。
それぞれの苦悩、それぞれの秘密を抱える6人の視点、そして独白で描く、運命の一日。


コロンバイン高校銃乱射事件を題材にした、
ガス・ヴァン・サント監督作品「エレファント」とも相通じる、
10代の残酷で、傲慢で、それでいて繊細なこころの動きをとらえた傑作だ。
級友の自殺という、監督みずからの経験をもとに、どん底の精神状態で書き上げた脚本だという。
19歳、という監督の年齢はそれだけでも十分衝撃的だが、
たとえ何十歳の作家が撮っても衝撃的な、ハイレベルの傑作である。
(パンフレットの解説で翻訳家の金原瑞人もそう書いていた)


映画の軸となる「誰が? なぜ?」のミステリーについては、
オチを知ってしまうと、それって反則じゃない、というのが正直なところ。
もちろん、純粋なミステリーじゃないので、別に憤る必要もないが、
物語に緊張感をもたらしていた部分ではあるので、一瞬は違和感を感じる。
もちろん、ドラマとして考えた場合は、そのオチも含めて、
物語に深い意味をもたらすので、しかたがないといえばそうなのだが、
前述の通り、ジャンル的な立ち位置を考えると、数少ない瑕疵ではある。


だが、映画の構成そのものは見事のひと言だ。
時間軸を巻き戻し、それぞれの視点からの一日を繰り返し?再生?する。
計算し尽くされていながら、それでいて作為的ではない。
序盤は単純なタイプ・キャストに思える6人の本当の姿が、
中盤以降次第に浮き彫りになる中、ドラマはますます緊迫感を増していく。


そして、アデレードを舞台に映し出される、ひとつひとつの光景には、
10代の輝きの裏に隠された、どす黒いまでの残酷さがかいま見える。
観ているだけで、ヒリヒリと痛みを感じるような、場面が続いていく。
そして明かされる、「だれが? なぜ?」
これまで10代の光と陰を印象的にとらえてきたカメラは、
リアルな痛さを全面に押し出しながら、?最期の場面?を映し出す。
自殺を美化するような、そんな甘さはそこにはない。
そこにあるのは究極のエゴイズム、究極の傲慢さ…
美しくなんかない。だが、果てしなく哀しい。


こころを引き裂かれるような、2時37分の余韻は、しばらくとどまり続ける。
やはりここは、哀しみに満ちた残酷な世界、なのだろうか。
生き残った一人がこう漏らす。
「(自殺した)××は幸せ…」
基本的に自殺という手段そのものは否定するスタンスなのだが、
この言葉に対し、どう反論できるのか… しばし想いは乱れるのだった。