TOHOシネマズなんばで「バベル」

mike-cat2007-04-28



〝神は、人を、分けた。〟
神の怒りに触れて、人々は言葉を分かたれた、という、
旧約聖書バベルの塔の物語をもとに、
「アモーレス・ペロス」「21グラム」の名匠、
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが、
伝わらない言葉と気持ち、そして孤立する魂を、
3つの大陸を舞台に4つの言語で描いた1作だ。
アカデミー賞では、菊地凛子助演女優賞ノミネートで大きな話題を呼んだ。


物語の始まりは、モロッコの山岳地帯。
山羊飼いの兄弟が放った銃弾は、夫婦の溝を埋めるべく、
ロッコへの旅行に訪れていた米国人女性の肩を撃ち抜く。
不在を預かっていた不法滞在のメキシコ人女性は、
事故の影響で、夫妻の子供たちをやむなくメキシコへと連れ出す。
一方、日本ではその銃のかつての持ち主の娘で、
聾唖の女子高校生が、孤独な魂を持て余していた。
絶望の哀しみと愛の再生、1発の銃弾がもたらす、運命の逆転―


映画のスタイルとしては、イニャリトゥの過去2作の長編と同じである。
〝犬のような愛〟を意味する第1作「アモーレス・ペロス」]では、
ひとつの交通事故を起点に、時間軸を前後させながら、
兄嫁に激しい恋心を青年に、すべてを失ったスーパーモデル、
そして反政府活動のために家族を捨て、犬と暮らす老人を哀切たっぷりに描き上げた。
ショーン・ペンナオミ・ワッツらのキャストも話題を呼んだ前作「21グラム」では、
人は死んだ時、魂の重さの21グラムだけ軽くなるという言い伝えをモチーフに、
心臓移植手術をめぐって交わり会う、3人の男女の人生を、情感たっぷりに描いた。


脚本は2作品のほかに、トミー・リー・ジョーンズ監督・主演の
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」も担当したギジェルモ・アリアガ。
撮影はこれまた2作品のほかに、
「25時」「ブロークバック・マウンテン」を撮ったロドリゴ・プリエト
音楽もこれまた2作品のほか、
ウォルター・サレス監督が若きチェ・ゲバラを描いたガエル・ガルシア・ベルナル主演作、
「モーターサイクル・ダイアリーズ」も担当したグスターボ・サンタオラヤ
(日本版予告では坂本龍一が担当しているかのように錯覚させられるが…)
まさに、イニャリトゥ組ともいえるオールスター・スタッフで贈る入魂の1作である。


前評判も上々だった。
見逃せない傑作、魂を揺さぶる感動作、と称賛の言葉ばかりが並ぶ。
いや、別に前評判だけじゃない。
実際のところ、胸を締めつけられるような哀しみと感動に満ちた作品だと思う。
だが、である。
過去2作で、あの、どうしたらいいのかわからなくなるような、
もしくは途方に暮れるような気持ちにさせられる、慟哭の1作を作りあげた、
イニャリトゥの作品としては、最高傑作どころか、標準的な作品という印象だ。
胸を締めつけられる、とは書いたが、前2作の胸を抉られるような感じはない。


あくまで個人的な意見だが、ひとつの原因は日本パートの異質感である。
まるで白痴の国のような描写は、完全否定もできないが、肯定したくもない。
ほかの3パートと比べても、その浅はかな印象は、作品の中で浮き上がっている。
もちろん、監督としたらあえて異質感を出したのだとは思うのだが、
その意図があまり機能しなかったのだろうか、作品全体のパワーにはつながってない。


その中でももっとも異質に感じるのが、菊地凛子である。
10代にはとても見えないヌードはまあ許容範囲としても、
ひとつひとつの行動が、何だかただの淫乱にしか見えない。
というか、(誤解を恐れずいえば)脳の方に障害があるのか? と穿ってしまうほど。
それは、抱えている事情、というやつが判明しても、同じである。
ついでにいえば、役所広司がハンター、という設定もどこか頷けないし、
(まあ、「21グラム」のショーン・ペン=大学教授もそうだが…)、
歯医者がマスクをしていたりしているのもリサーチ不足だし、
障害者に対するあからさまな差別も日本っぽくない。(もっと陰湿でしょ?)


メキシコ・パートにも、不満はないわけではない。
ガエル・ガルシア・ベルナルが演じるサンチャゴの行動もどこか不自然だ。
国境警備隊とのやりとりの顛末は、その後のストーリーありきにも見える。
ただ、そこからの展開、そしてアドリアナ・バラッザは見事のひと言。
子どもから「あなたは悪い人なの?」と尋ねれたアメリアが、
「間違ったことをしただけ」と答えるあたりから、
それまでの16年間のすべてを失うまで、もう涙なしでは観られない。


ただ、モロッコ・パートについては、文句がない。
現地編はガキの悪戯が因果応報という形でまとまる、ある意味厳しい展開だが、
兄弟が峡谷に向かい、風に吹かれるシーンの美しさは凄まじいし、
ブラッド・ピットケイト・ブランシェットの夫妻のドラマは、
思わぬシーンでふたりの不和が解消する展開が印象的だ。
単に悲劇だとか、愛の再生とかだけでは語りきれない、
複雑な要素をこれだけ詰め込みがら、
それでいてひとつのつながったドラマとしてまとめ上げているのはやはり凄い。
イニャリトゥの手腕、というのがあらためてクローズアップされるのだ。


書いていてだんだん、褒めてるのか、けなしてるのか支離滅裂になってきたが、
そんなわけで、さすが!の部分もあり、不満の部分もあり、で、
最初に書いたイニャリトゥ作品としては、標準的、という評価に戻る。
もしかしたら、「アモーレス・ペロス」などへの思い入れが強すぎるせいかもしれないし、
菊地凛子フィーバーでへそを曲げてしまったのかもしれないが、
過剰な期待に応えてもらうことができず、物足りない思いが残ったのだった。