シネリーブル梅田で「善き人のためのソナタ」

mike-cat2007-02-22



〝この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない〟
ヨーロッパ映画賞で、作品・主演男優・脚本の3部門受賞、
近く発表のアカデミー賞でも外国語映画賞ノミネート
ベルリンの壁崩壊前の東ドイツを舞台に、
監視国家での信義と良心の狭間で揺れる男を描く、感動作だ。
主演はミヒャエル・ハネケ監督作品「ファニーゲーム」ウルリッヒ・ミューエ、
共演に感動の実話「トンネル」セバスチャン・コッホと、
「マーサの幸せレシピ」マルティナ・ゲデック
監督はこれが長編デビュー作となった、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク


1984年、秘密警察《シュタージ》が暗躍する監視国家、東ドイツ
次々と反体制派を血祭りに上げる、国家保安省の精鋭局員、
ヴィースラー大尉が、次なる監視の対象に選んだのは、
西側でも評価の高い舞台脚本家ドライマンと、そのミューズにして恋人の、女優クリスタだった。
盗聴で反体制の証拠をつかもうと、屋根裏に潜んだヴィースラー。
しかし、そこで耳にした魅惑のピアノ曲善き人のためのソナタ〟、
そしてヴィースラーたちの自由な思想に、ヴィースラーのこころは次第に揺らいでいく−


泣いた。
しみじみと、いい映画である。
国家のため、人民のため。
盲目的に体制を信じ、冷酷なまでに献身的に、反体制派を追いつめてきた男。
だが、そんな男のこころを融かした、音楽と思想。
かつての信念とのはざまで葛藤に苦しむ姿、そして踏み出した一歩…
哀しい調べを奏でながら、ヴィースラーのこころのドラマは展開していく。
みずからもその監視国家に縛られたヴィースラーに、大きな力などない。
時には、もっとも目にしたくないものにまで直面しながら、ヴィースラーは行動する。


颯爽として反体制派を狩っていたヴィースラーから、
哀愁に満ちた背中をさらしながら、街を歩くヴィースラーへ。
その変転は、どこか哀しげでありながら、一方では自由を感じさせる。
哀しいドラマに投げかけられる、一縷の希望、かすかな光。
そのひと筋の光明に、止め処のない涙があふれ出てくるのだ。
そんなヴィースラーを演じたウルリッヒ・ミューエには、ひたすら称賛を贈るしかない。


シュタージ、社会主義国家というイメージから、
「いまさら何でこのテーマで書くのか…」などとのたもうた、
トンチキな映画評論家がいたような気がしたが、いまだからこそ意味がある、と反論したい。
まず、いいドラマにタイミングなど関係ないし、
〝いまさら〟という部分でいえば、〝いまだからこそ〟ともいいたい。
人間の弱さにつけ込むシュタージの手口、特権を悪用する党幹部の腐敗…
確かに〝いま明かされる、監視国家の真実〟的な部分には、さして斬新さはない。
だが、そうした〝舞台設定〟そのものが周知の事実になったいまだからこそ、
そこに展開するドラマが、その真価を発揮して、こころにグッと沁みる部分もあるはずだ。


138分という長尺と聞くと、構えてしまうのも正直なところだが、
いざ作品が始まってしまえば、時間など気にならないほど、圧倒的なドラマが展開する。
いわゆる娯楽作品的な、勧善懲悪がもたらすカタルシスはない。
だが、静かな感動が、そんな安手の感動を軽く凌駕することは言うまでもないだろう。
年に10本あるかないかの、必見映画であることも、もちろん言い添えたい。