TOHOシネマズなんばで「幸せのちから」

mike-cat2007-01-30



〝この手は、離さない──
 全財産21ドルから立ち上がった父子の、実話に基づいた感動作。〟
ホームレス生活から投資会社社長にまで上りつめた、
実在の人物、クリス・ガードナーの自伝をもとにした物語。
主演のウィル・スミスがアカデミー賞候補となっただけでなく、
実子であるジェイデン・クリストファー・サイア・スミスと、
そのまま親子の役として共演した、話題作でもある。


原題は〝THE PURSUIT OF HAPPYNESS〟
アメリカ独立宣言の一節、「幸福の追求」の権利であるが、
HAPPINESSのスペルが間違っているのがミソとなる。
チャイナ・タウンの託児所の壁に書かれた、
その〝ちぐはぐ〟な一節の響きに、この作品の妙味が重なる。


1981年、不況下のアメリカ・サンフランシスコ。
医療機器のセールスマン、クリス=ウィル・スミスは苦境にあえいでいた。
高額な器械は売れず、生活は困窮を極めるばかり。
妻のリンダ=タンディ・ニュートンとの仲も冷め切っていた。
まだ幼いクリストファー=ジェイデン・クリストファー・サイア・スミスを抱えたクリスに、
またも新たな困難が襲いかかった。
困窮に嫌気がさしたリンダがクリスのもとを離れたばかりか、
家賃の支払いすらできずに、家を追い出される羽目になったのだ。
日々の寝床を求め、クリスとともにさまよい歩くホームレス生活。
窮地を脱するため、クリスは一発逆転を狙い、株式仲買人の研修生に応募する。
だが、それは半年にも渡る無給の試練に加え、雇用の保証もない、賭けだった−


映画としての出来は、まずまず以上といっていい。
白髪まじりのショボい男に扮し、やや抑えめな演技に徹したスミスは悪くない。
幼い子供を連れて駅のトイレに泊まってみたり、
端金にも困り、ますます追いつめられていく〝痛い場面〟の数々はまさしく熱演。
そんなどん底から、チャンスをつかみ取るまで、
意外性ゼロの展開でありながら、それでもホロリとさせるあたりも巧さはあると思う。
いい話、ということに関しては、何の異論もない作品ではある。


だが、そんないい話にもかかわらずどこか共感できない部分がこの作品には強く臭う。
たとえば、生活の困窮。
さまざまな事情はあると思う。どれだけ努力しても報われないこともある。
しかし、少なくともこのクリスが陥った窮地に関しては、
この映画を見る限りでは、あまり同情の余地はないような気がする。
税金の支払いを滞納していたのも、違法駐車の罰金を滞納していたのも、
家賃の支払いを滞納していたのも、いずれも本人たちの見通しの甘さに由来している。
社会から冷たい仕打ちを浴びた、というイメージを強調しているが、
やはりもともと悪いのは、このクリス・ガードナー本人に違いないのだ。
そのどん底から抜け出した人も偉いが、
最初からきちんと生活を営んでいる人間と比べ、劣りこそすれど、決して勝ることはない。


さらに言うと、困窮したり、そうした惨めな思いをしたり、を本人がするのは別にいい。
それこそ、きつい言葉だが自業自得である。
しかし、子供を巻き込みすぎてはいないだろうか。
自分が父親なしの少年時代を送ったから、決して子供を手放さない。
その信念自体は称賛に値するが、駅のトイレに泊まらせるほど一緒というのはどうなのか?


福祉制度に対する信頼感という問題もあるだろうが、
せめて子供にぐらい、みじめさを味わわせないよう努力すべきではないのか。
もちろん、親の苦労を見て、感謝を深めた子供だって、世の中にはたくさんいるだろう。
しかし、それはあくまで子供の受け止め方の問題で、
みじめな思いをさせた親の責任が解消されるわけでは、決してないのだ。


あまつさえ、その困窮生活の中で、子供にその苛立ちを隠せなくなる場面がある。
〝罪なき子供〟という考え方に全面的に賛同する気もないが、
少なくともこの映画においては、子供の側に一切の責任はない。
自分の不甲斐なさに由来する苛立ちをぶつけるなんて、
見ているだけで唾棄したくなる、親として最低の行為のひとつである。


その割に、ということで違和感を覚えるのが、子供の物わかりのよさだ。
これだけ悲惨な状況にありながら、粛々と状況を受け入れる。
普通、もう少し愚図ったり、文句を言ったり、泣いたりして然るべきだが、
そんなことはほとんどしないまま、クリスを信じ、必死でついてくる。
正直、出来過ぎた話で、多少気分が削がれてしまうのだ。


もし、実際そうだった、というなら、もっと問題だ。
それだけ不幸や悲惨な状況に慣れ親しんでいる、ということでもある。
別に何でも望む通りの世界を与えろ、とはいわないが、
幼い頃から諦めることばかりに慣らされた子供は、どうなってしまうのだろうか。


そうそう忘れてはならないことがもう一つ。
「幸福の追求」におけるクリスの行動の中に、
他人の生活を踏みにじるような行為がずいぶんなかっただろうか。
まっとうな生活している人を犠牲にしてはいなかっただろうか。
弱肉強食、手段を選ばないアメリカン・ドリーム追求では、感動は目減りするばかりだ。


そんなわけで、悪くない出来の作品でありながら、
用意していた感動の涙は、涙腺からにじみ出ることなく、映画は終わる。
エンドクレジットで流れるシールの歌もこれまた悪くないだけに、
その違和感は、あからさまな不満までいかないまま、消化不良な余韻へと変わる。
詰まるところ、このクリス・ガードナーという人物に対する評価の部分ではあるのだが、
よほど、ウィル・スミスの〝俺さま映画〟なら、
不満100%で終われたのに、というヘンな感じの思い、でもある。
つくづく、何とも困った作品だったのだ。