新宿K’sシネマで「ルナシー」

mike-cat2006-12-15



「オテサーネク 妄想の子供」の、
ヤン・シュワンクマイエル監督最新作。
〝あなたに本当の自由を見る覚悟はあるだろうか〟
精神病院を舞台に自由と抑圧、
そしてあふれんばかりの狂気を描く。


主人公は、精神病院で母を亡くして以来、
罪悪感と恐怖から、悪夢に悩まされている青年ジャン。
旅先の宿で出逢った〝侯爵〟のもとに招かれたジャンは、
その屋敷で行われている、背徳の儀式を目にすることになる。
信じられないような侯爵の言動に圧倒されるジャン。
そして侯爵は、悪夢から逃れるため、ある精神病院への入院をジャンに勧める。
そこで行われている治療は、ジャンをさらなる困惑に陥れるのだった−


「ご覧に入れます映画はホラーです。
 ホラーというジャンルならではの落胆をお届けします。」
映画の冒頭、シュワンクマイエル自身がスクリーンに登場し、こう語る。
いくつかのモチーフをエドガー・アラン・ポーから、
そして涜心と破壊的な思想をあのサド侯爵から着想し、
この作品を作りあげたことを、親切極まりなく説明してみせる。
さらには「芸術は死んだ」的な演説を一席。
確信犯的なやり口で、逆説的に自分の作品こそが芸術であることを強調する。
正直、違和感にまみれた導入だし、反則だとは思うのだが、
それもまたシュワンクマイエルらしさ、といえば、そういうことなのだろう。


描かれるのは、精神病院における患者への2種類のアプローチ。
〝完全な自由〟と〝監視と体罰〟。
だが、シュワンクマイエルはその悪い部分だけを取り出した手法が、
ある場所において用いられている、と指摘する。そう、〝この狂った世の中〟だ。
自分勝手な自由と、権力の濫用。その蔓延がもたらす結果が、描かれていくのだ。


そして、新しいアイデアを出すことだけに腐心し、
コマーシャルの領域にばかり目を向けた、芸術の市場化を嘆き、
〝自分を売る売春〟とののしるシュワンクマイエルの描き出す世界は、
きわどいグロテスクさと、妙な滑稽さに充ち満ちている。
〝もっともシュールレアリズム的作品〟と自負する作品の、
マスコット的存在となっているのが、ポスターにも登場する蠢く〝舌〟や〝肉〟〝目玉〟。
人間に見立てたこれらの〝部位〟のアニメーションが場面ごとに挿入され、
ただでさえ奇妙な物語に、さらに一風変わったスパイスとなっていく。


〝侯爵〟の言葉を借りて展開する、
「神は虚弱と不安が生み出したキメラ<幻想>である」との議論も興味深い。
物語を左右することになる、中途半端なモラルや権威への盲信も、
ある意味ではこのテーマに関わる部分なのかもしれない。
宗教の否定ではなく、自分が信じるものについてもう一度検証する、という当たり前の行為。
それを忘れた人間が抱く盲信が、現実世界でどんな結果をもたらしているのか。
キリスト教圏では、かなり冒険的な議論だとは思うが、決して、奇をてらった言葉ではない。


最初に監督自身が宣言する、実際〝ホラーならではの落胆〟もきちんと味わえる。
ジャンの取った行動がもたらす皮肉であったり、
結果の不条理感は、ある種一流のホラーに通じる哲学性を感じさせる。
ただ、いわゆるゲイジュツ感はさほど強くないが、観終わって、ものすごい疲労感に襲われる。
まあ、それがシュワンクマイエルの毒、というやつなのだろうか。
「オテサーネク」の時とはまったく違う、不思議な感覚に包まれたのだった。