渋谷Bunkamuraル・シネマで「上海の伯爵夫人」

mike-cat2006-12-14



名作「日の名残り」の巨匠が待望のリユニオン−。
眺めのいい部屋」「ハワーズ・エンド」の
ジェームズ・アイヴォリー監督と、
日の名残り (ハヤカワepi文庫)」の原作や、
いま話題の「わたしを離さないで」のカズオ・イシグロ
2人が贈るのは、日中戦争開戦前の上海を舞台に、
絶望の底にある男女の出逢いを描いたロマンスだ。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)」にも連なる、
かつての上海への、イシグロの想いが込められている。


主演に「ナイロビの蜂」「イングリッシュ・ペイシェント」レイフ・ファインズ
「シャンプー台の向こうに」「ファミリー・ゲーム/双子の天使」のナターシャ・リチャードソン
共演にリチャードソンの母、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、叔母のリン・レッドグレーヴ。
そしてアイヴォリー作品の「金色の嘘」にも出演したマデリーン・ポッターと、
いかにも文芸ロマンスらしい風格、重厚さを備えたキャストがそろった。
トムクル主演のトンデモ時代劇「ラスト・サムライ」で、
一躍国際派俳優として知られることになった真田広之も登場する。


家族を、光を失い、絶望に暮れるジャクソン=ファインズ。
かつて「国際連盟最後の希望の星」といわれた元アメリカ外交官。
祖国を追われ、上海租界のナイトクラブで、夜の女に身をやつすソフィア=リチャードソン。
夫を失い、日々の生活にも困窮するロシアの伯爵夫人。
デカダンの香り漂う魔都、上海で2人は出逢った。
ジャクソンが開店した「夢のバー」で、ソフィアとジャクソンの人生が交差する。
だが、そこには日本軍に関与する、謎の日本人マツダ真田広之の姿が−


暗い過去と孤独、絶望を背負った2人のロマンス。
さらに悲恋の主人公を演じさせたらピカイチのファインズ主演とあって、
物語はいかにも悲劇を予想させるのだが、意外とオーソドックスなストーリーだ。
小説とは違うアプローチを取った、というイシグロの脚本は、
悲恋を匂わせながら、着々と希望への道へ布石を打っていくという巧みさが光る。
アイヴォリーは当初谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」の脚色を依頼したが、
イシグロは何と勝手にこのオリジナル脚本を書いてきたとか。


ソフィアの魅力を「魅惑と悲劇性、あきらめ」と語り、
重い扉で外界を遮断し、孤独な「夢の世界」に閉じこもっていたジャクソン。
だが、新しいキャンバスに人生を描こうとしたとき、
それまで気付かなかったソフィアの本当の美しさに気付く。
アイヴォリーの抑制のきいた演出でため込まれた2人の情熱が、
ジャクソンがソフィアの頬をなでる終盤のクライマックスで花開くとき、
観るもののこことに、猛烈な感動の嵐が吹きすさぶ。


ファインズを見ていると、個人的にはどうしても悲恋を期待したくなる。
事実、序盤はそんな流れに見える展開が、気付いてみたら、
「幸せになって欲しい」と思うようになる、巧みな話の流れは見事のひとこと。
ポスターだけ見たら、何の魅力も感じられないリチャードソンが、
序盤では退廃の美を感じさせ、最後はまた違う魅力を振りまいているのも興味深い。
実の家族でありながら、偽りの家族を演じるリチャードソンとレッドグレーヴ姉妹や、
ソフィアのイヤミな義妹を演じるポッターの演技を始め、
祖国を失ったユダヤ人ファインスタインを演じるアラン・コーデュナーら、
共演陣の力のこもった名演のオンパレードも、見応え十分だ。


日の名残り」のような、絶対的な名作の貫録こそないが、
アイヴォリーやイシグロの世界を満喫できるだけのクオリティは満たしていると思う。
船上で奏でられるトランペットとともに暗転していくラストでは、ただただ涙がこぼれる。
工夫のない表現で申し訳ないが、やはり「さすが」としかいいようがない。
佳作どまりではあっても、ファンなら間違いなく見逃せない1本だろう。