道頓堀東映パラスで「テキサス・チェーンソー ビギニング」

mike-cat2006-11-14



〝恐怖の原点
 絶望の頂点

 覚悟がなければ、観てはいけない〟
トビー・フーパー監督によるスプラッタ・ホラーの古典的名作
悪魔のいけにえ」のリメイク「テキサス・チェーンソー」の続編にして前日譚。
旅人を恐怖と絶望のどん底に陥れる、レザーフェイス誕生までの経緯を描く。


製作は前作同様、「アルマゲドン」「ザ・ロック」のマイケルベイ。
監督は「黒の怨み」ジョナサン・リーベスマン
レザーフェイスことトーマス・ヒューイットは前作に続いてアンドリュー・ブリニアースキー。
お色気担当は前作のジェシカ・ビール(「ステルス」「エリザベスタウン」)から、
ワイルド・スピード」「姉のいた夏、いない夏」のジョーダナ・ブリュースターへ。
そして、たぶんこのシリーズのキモでもある、悪徳保安官ホイトは、
もちろん前作に続いて、R・リー・アーメイ(「セブン」デッドマン・ウォーキング」)が務める。


1939年のテキサスの田舎町。
不衛生な食肉処理工場で産み落とされ、捨てられた奇形児は、
ゴミ漁りの女に拾われ、トーマスと名付けられて、育てられる。
田舎特有の陰湿ないじめと、差別に苦しめられ、
自傷と動物虐待を繰り返し、いつしか怪物のようになっていく。
時代は変わって、ベトナム戦争が戦線拡大する1969年。
徴兵を前にテキサス縦断の旅に出たクリッシーたちは、
交通事故に巻き込まれ、不運にも〝あの〟ホイト保安官に囚われる−


前作との違いは、もちろん前日譚の部分だが、
こちらはレザーフェイスやホイト保安官〝誕生〟秘話がさらりと明かされる程度。
もちろん、それはそれで見どころではあるのだが、
映画そのものは、前作とほとんど変わりのない、阿鼻叫喚のスプラッタ場面の連続だ。
比較するなら、スプラッタ度はかなり上がっているといえるだろう。
というか、直接描写が多くなったことで猟奇度が高まり、
娯楽作品としてのクオリティは下がっている、という方が正しい表現だろう。
見せずに恐がらせるより、直接見せて嫌悪感を誘う手口はいまいち興醒めでもある。


お次はお色気面。
濡れたタンクトップで観るものの目をくぎ付けにしたジェシカ・ビールと比べ、
今回のジョーダナ・ブリュースターは、あまり露出面では貢献が少ない。
せいぜい、ローライズのデニムからはみ出すおしりぐらいか。
以前はまったくお手入れしてなかったまゆ毛も、
今回はすっきり整えられているが、むしろ個性がなくなって魅力はダウンした。
ちなみに、ジョーダナ・ブリュースターのお色気場面希望な方には、
キャメロン・ディアズと共演した「姉のいた夏、いない夏」を強くお勧めする。


しかし、そうした恐怖&お色気のパワーダウンを差し引いても、
これは観なければ! と強く訴えたくなる魅力はやはりホイト保安官だろう。
前作での「若い頃の俺は女の死体が好きだった。あちこち触れるからな」など、
数々の名ぜりふを残した保安官は今作でますますパワーアップ。
実は前作でもアドリブ連発だったらしいが、
今回もとんでもない名言が次々と飛び出してくるのだ。
中でも「バランスさ」と、「少年が男になるときが来た」の2つは、
映画史に残るトンデモ発言といってもいい、最高にクールなセリフとなっている。
オリジナル作品は言うに及ばず、前作と比べても評価は微妙なこの作品だが、
正直言って、このホイト保安官を観るだけでも、1800円也を払う価値あり、だ。


ホラー映画ならではの、絶妙の後味の悪さを残し、
エンドクレジットが流れると、この映画何十回目かの苦笑いが浮かぶ。
悪趣味そのもの。
それなのに、喜んで観ている自分に向けても、苦笑いを禁じ得ない。
しかし、こういう映画って、やっぱりついつい観たくなってしまうのだ。
ホイト保安官のスピンオフ映画とかできたら、やっぱり観てしまうはず。
ううん、そんな自分に、再び苦笑いをしてしまうのだった。