シネマート心斎橋で「セレブの種」

mike-cat2006-11-13



〝女が求めるのは、超一流の遺伝子(セレブの種)。〟
1回1万ドルで〝種付け〟をする
NYのエリート崩れを描いた、風刺コメディ。
「ドウ・ザ・ライト・シング」「マルコムX」など、
数々の問題作を送り出したスパイク・リーの2004年度作品だ。
デンゼル・ワシントン主演の「インサイド・マン」とは、
日本での公開順序が逆になってしまったが、
なぜこれまで〝塩漬け〟にされていたのか、理解に苦しむ傑作である。


ハーバード、ウォートンでMBAを取得したジャックは、
エイズ治療薬を開発するプロジア社の、31歳のエリート取締役。
だが、幹部の不正を内部告発したため、解雇の上、資産凍結の憂き目を見る。
困窮極まったジャックのもとを、かつての婚約者ファティマが訪れる。
レズビアンの恋人との間に子供が欲しいファティマは、
大金と引き換えに、ジャックに精子提供を求めたのだった。
超一流の遺伝子は、レズビアン仲間で話題を呼び、
ジャックのもとには次々と〝種付け〟希望の女性たちが集まってきた−


もちろん、この映画の最大の見せ場は〝種付け〟である。
たくましい体、整った顔立ち、超一流の頭脳に、超一流の経歴…
アンソニー・マッキー(「ミリオンダラー・ベイビー」「8mile」)演じるジャックは、
〝理想の遺伝子〟をそのまま体現するようなキャラクターになっている。
なるほど、大金を払って、レズビアンの女性たちが大挙してくるのも無理はない。


何も〝種付け屋〟じゃなくたって、精子バンクという手だってあるだろう。
そういうご意見も多数あるとは思う。
しかし、「ジーニアス・ファクトリー」→レビューの例を挙げるまでもなく、
その遺伝子の信頼性に関しては、どうにも疑問も残る。
この映画に登場するファティマもこう言い切る。
精子バンクなんて「グッチをウォルマートで買うようなもの」。
本当に信頼できる遺伝子を手に入れるには、当人から手に入れるのが一番なのだ。


そんなわけで、次々と女性に〝種付け〟していくジャック。
その姿、同じオトコとしてはかなり微妙でもある。
もちろん、法外な大金をいただいて、イタすわけだから、うらやましくもある。
いや、相手を選べないのだから、そこらへんは風俗嬢と一緒か…
商談成立の前の〝品定め〟として、
ストリップを要求される場面なんかは、マゾっ気のある男性はたまらないかも。
レズビアンとはいえ、5人の女性に見つめられるのだ。
「娼婦の気持ちがわかるわよ」と言い放つ顧客のセリフがこころに沁みる。


同性婚に対しても、保守層がやいのやいの反論をぶつけている中、
モラル的にはどうだろうか、という議論はもちろんあるのだが、
お互いが合意している以上、このこと自体に問題はないと思う。
むしろ、問題があるのは偏見から抜け出せない世の中にこそあるはずだ。
もちろん、この映画のようにメディアの寵児になってしまえば、
さまざまな問題は派生するだろうけど、それはあくまで本質論とは違う。
ビジネスとして発展していく中で、必要最低限のモラルを法整備できれば、
子供を切実に求める親にとっては、望ましい形のひとつではないだろうか。


映画の中では、もうひとつのモラルも問われていく。
ウォーターゲート事件発覚のきっかけを作った警備員フランク・ウィルズと、
重ね合わせ、内部告発のリスクと、モラルの両天秤が描かれるのだ。
エイズ治療薬の認可をめぐるインサイダー取引に気付き、
内部告発を行ったジャックだが、逆に幹部の奸計にはめられ、
インサイダー取引、そして治療薬をめぐる不利な情報を隠匿したとして、
ジャック自身が犯罪者として告発を受けてしまう、という顛末。
ビジネス・エリートと呼ばれる、モラル欠如集団の姿も強烈に描かれている。
勇気ある行動をとりながら、その後は不遇な人生を送ったウィルズと、
ジャックは同じ目にあってしまうのか、というのが、もうひとつの軸となる。


そんな問い掛けの鋭さの一方で、風刺としての娯楽性もかなり高い。
個性的な女性たちに翻弄されるジャックの姿だけでなく、
ジャックの顔をした精子たちが、卵子を目指して突進していくイメージ映像や、
そして、ジョン・タートゥーロ(「バートン・フィンク」)演じる、
マフィアのボスのお茶めっぷりも何ともおかしい。
脇を固めるウディ・ハレルソン(「ナチュラル・ボーン・キラーズ」)、
エレン・バーキン(「シー・オブ・ラブ」「おわらない物語 アビバの場合」)、
モニカ・ベルッチ(「マレーナ」「アレックス」)に、
キウェテル・イジャフォー(「堕天使のパスポート」「ラブ・アクチュアリー」)と豪華絢爛。
名前だけでなく、中身のある演技で、ドラマをもり立てていく。


〝種付け〟と内部告発、ふたつのモラルの問題のからめ方に、
いまひとつ関連性が弱い気はするが、映画としてのパワーは十分。
140分とやや長めの尺ではあるが、退屈することはまったくない。
娯楽作品としても、社会派作品としてもイケてるこの作品。
もっともっと広く、話題になって欲しいな、と強く感じてしまうのだった。