TOHOシネマズなんばで「父親たちの星条旗」
クリント・イーストウッドによる硫黄島2部作第1弾。
太平洋戦争下、熾烈を極めた硫黄島攻防戦を、
アメリカ側、日本側の双方から描いた、意欲作だ。
そして、この作品はアメリカ側からの視点で描いた硫黄島。
〝戦争を終わらせた一枚の写真。その真実。〟
硫黄島での勝利を象徴する写真に隠された、戦争の真実が語られる。
東京とサイパンの中間に位置する、太平洋の小島、硫黄島。
その攻防は、太平洋戦争の戦局を左右する、重要な戦いだった。
当時、アメリカは国庫が破綻、国民の間には厭戦気分が蔓延していた。
だが、硫黄島上陸の象徴的な場面を移した1枚の写真が、その流れを変える。
戦時国債キャンペーンに駆り出されるべく、
〝偽りの英雄〟に仕立て上げられた若者たちは、次第にこころを蝕まれていく−
製作にはあの、スティーヴン・スピルバーグ。
感動のドラマ以上に、ノルマンディー上陸の凄惨な場面が印象深い、
「プライベート・ライアン」を思わせるような、凄惨なシーンはこちらにも多い。
(もちろん、「プライベート〜」ほどヤバくはないが…)
だが、そこには、戦争を美化しない、という強い意志がはっきりと見える。
それは、映画そのもののテーマにもかぶる部分だろう。
〝死んでいったものたちを本当に讃えるなら、真実の姿を伝えるべき〟
戦争という大いなる欺瞞の象徴として、偽りの英雄でもある道化を演じた若者たち。
その本当の姿がどうであれ、その真実を伝えることによって、
あの戦争と、それに巻き込まれた者たちを正視する、という姿勢である。
凄惨そのものの戦い、いや殺し合いをさせられた者たちの悲劇は、
たとえ残虐なものであっても、可能な限り正確に再現されるべきなのだ。
撮影は「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」でも、
イーストウッド作品を手がけたトム・スターンが担当した。
陰影を効果的に使ったその映像は、
時にはその陰惨さ、時にはその哀しいを観客の眼前につきつける。
イーストウッドの重厚な演出との相乗効果で、観るものを圧倒するのだ。
状況に戸惑い、流されていくドクには、
リース・ウィザースプーンとの離婚が伝えられたばかりのライアン・フィリッピ(「54」「クラッシュ」)、
〝偽りの英雄〟を喜々として演じるレイニーには「チアーズ!」のジェシー・ブラッドフォード、
祖国に命を捧げ、英雄として凱旋しながら、
なおも差別に苦しむネイティヴ・アメリカンのアイラに「ウィンド・トーカーズ」のアダム・ビーチ、
ほかにも「リトル・ダンサー」のジェイミー・ベル(大きくなりました…)
「プライベート・ライアン」のバリー・ペッパー、「ワイルド・スピード」のポール・ウォーカー…
映画好きなら思わずふむふむ、とうなりたくなるような出演陣にも恵まれた。
フィリッピがいつも通り無表情なのがやや気になるが、
それはそれ、今回に関しては役作りと思えば、さほど気にならないだろう。
ポール・ハギスによる脚本は、ややテクニックに溺れた印象もあるが、
終始、圧倒されるような重苦しい雰囲気に包まれた作品は、
見るものを惹きつけてやまない、力強いドラマは見応え十分といえるだろう。
故郷から遠く離れた地で散っていった若者たちの哀しさだけでなく、
英雄となった者たちの悲哀まで、多層的に描き上げている点は、見事といっていい。
全般的には、さすがイーストウッド! という高いクオリティに仕上がった作品だ。
日本側から見た硫黄島を描く、第2弾「硫黄島からの手紙」(12月公開)では、
この作品では奇声を挙げて襲いかかるだけの〝ジャップ〟が、
圧倒的物量のアメリカをゲリラ戦術で苦しめた〝人間〟として描かれる。
日本人への配慮から、その特攻精神的〝大和魂〟が、
美しいものとして描写されてしまったら…、という不安は残るが、やはり観ずにはいられない。
現実の記憶としては知らない〝あの戦争〟を、
かつての〝敵国〟が製作した映画で回想するのも、なかなか不思議な気分ではあるのだが…