松江SATY東宝で「ワールド・トレード・センター」

mike-cat2006-10-09



出張先の映画館へは、いつもドキドキしながら出かけるのだが、
こちらはまずまず平均的なシネコンという感じで、ひと安心。
上映の20分前にならないと、入場券を発売しないとか、
コンピュータではなく、シールをつかった座席指定には戸惑ったが、
スクリーンのサイズや音響、シートは悪くなかったと思う。


それはともかく、「ユナイテッド93」に続く、9・11もの映画。
〝勇気そして生還――これは、真実の物語。〟
崩落したワールド・トレード・センターの瓦礫の下に生き埋めになった、
2人の港湾警察官の救出劇と、その家族たちを描いた〝事実に基づく物語〟だ。


出演陣には、ずらりと実力派をそろえた。
生き埋めとなったジョン・マクロクリン巡査部長には、
リービング・ラスベガス」「ザ・ロック」のニコラス・ケイジ
同じく生き埋めの新人警官ウィル・ヒメノには、
「クラッシュ」「ミリオンダラー・ベイビー」のマイケル・ペーニャ
マクロクリン夫人には「ヒストリー・オブ・バイオレンス」のマリア・ベロ
ヒメノ夫人には「セクレタリー」「アダプテーション」のマギー・ギレンホール
メガホンをとるのは、あの「プラトーン」「JFK」のオリヴァー・ストーンだ。


あの日、2001年9月11日−
港湾局警察(PAPD)に勤務するジョン=ニコラス・ケイジは、
いつも通り、ポート・オーソリティのPAPD本部へと出勤する。
そう、いつも何も変わらない一日のはずだった。
しかし、1機の機影がマンハッタン上空を横切ったとき、すべてが変わった。
93年のWTC爆破事件などを経験したスペシャリストでもあるジョンは、
まさに地獄絵図と化したワールド・トレード・センターへ、救助へ向かう。
だが、まさかの崩落に見舞われたジョンは、
新人警官のウィル=ペーニャとともに瓦礫の下に生き埋めになった−


文句なしで、いい話なのは間違いない。
政治的な要素を一切排除し、マクロクリンとヒメノの救出劇にまつわる、
人間の善なる部分にテーマを絞り込んだ、感動の物語。
この映画で取り上げられた港湾警察官や消防士、警察官の勇気、
生き埋めにされながらも、耐え抜いた2人の不屈の精神力、
2人のこころを支えた、家族たちとの絆、
そして、命をかけて瓦礫の下に向かった救出チームの尊い気持ち…
批判や不満など、入り込む余地のない感動の実話である。


だが、それはあくまでも実話としての価値の部分。
映画作品として考えた場合、どうにもユルさを感じてしまう。
見ていて感じたのは、この映画がまるで、
「世界まる見え! テレビ特捜部!」で紹介される、
実話系再現ドラマのスペシャル版程度にしか、感じられないのだ。


このエピソードが感動的なことはいうまでもない。
だが、あくまで映画作品であるからには、どんな視点でどのように描くか、もポイントとなる。
もちろん、映画のハイライトでもある、救出されたジョンやウィルが乗る担架を、
救出チームの男たちがバケツリレーよろしく、運んでいくシーンを始めとする、
オリヴァー・ストーンの演出手腕は、十分見せ場も作ってくれているとは思う。
それでも、あまりに工夫のない、実話をそのまんま映像にしただけのストーリーには、
何となく物足りなさを感じてしまうのも確かなのだ。


もちろん、2人を命を救った尊い救出劇の裏側で、
それでも救えなかった多くの命がもたらす、何とも言えない虚しさや、
救出劇の大きなカギを握る、神の啓示に導かれた求道者、
マイケル・シャノン演じる、海兵隊予備役のデイブ・カーンズ軍曹の、
どこかイカれたような描写(ファーストネームを尋ねられ「Step-Surgent(軍曹)」)など、
もちろん、それなりに掘り下げた部分や作品的なひねりはあるのだが、
それでも、全体的なトーンには、不自然なほど美談賛歌に満ちている。
だからだろうか、知られざる者たちを描いた「ユナイテッド93」とは違い、
誰もが知る美談を描いたこの映画に、いまひとつ意義を感じないのだ。


思い切って書いてしまうと、なぜ、いまこの映画なのかがよくわからない。
ついでにいうと、なぜオリヴァー・ストーンでこの映画を撮るのかもよくわからない。
いつも通りの陰謀説までやってくれとはいわないが、
政治的な視点をあまりに排除しすぎると、
それは為政者(ブッシュ陣営)への無条件の承認にも取れてしまうのだ。
そういった要素を全部排除するなら、ロン・ハワードあたりに撮らせておけばいいのだ。


そんなわけで、いい話を観たにも関わらず、
エンドクレジットが終わっても頭の中は「?」の嵐。
実際にその悲劇を体験したアメリカ人ではないから、
その感動を素直に受け止められないのか、
それとも、単に僕がひねくれた、ひどい人間なのか…
後者を微妙に否定できないまま、うんうんうなり続けるのだった。