梅田ガーデンシネマで「カポーティ」

mike-cat2006-10-03



ようやく、本当にようやく公開の、待望の作品だ。
映画の存在を映画ライター、町山智浩氏のブログで知ったのが昨年10月だから、待ち時間は実に1年間。
フィリップ・シーモア・ホフマンのオスカー受賞で、
ますます期待は高まったにも関わらず、
公開は何と秋というあんまりな仕打ち。
そんなこんなのうちに「冷血」の記憶も薄まるが、
待ちくたびれた気持ちを再び高ぶらせ、いざスクリーンの前に陣取る。


1959年11月15日、カンザス州で起こった、一家4人の惨殺事件。
新聞記事で知った事件に、強烈なインスピレーションを感じたトルーマン・カポーティは、
急遽カンザスに向かい、事件現場や関係者を訪ねて回る。
逮捕された犯人ペリー・スミスに言葉巧みに接近し、事件の〝真相〟を探るカポーティ
スミスの境遇を自らに重ね合わせ、感情移入しながらも、冷酷に〝真相〟をえぐり出す。
ノンフィクションノベルの荒野を開拓した傑作「冷血」の裏側を描いた意欲作。


何より特筆すべきはもちろん、カポーティを演じたホフマンといっていいだろう。
実際のカポーティの人となりは、もちろん知るよしもないのだが、
かん高い声で、ねちねちと喋る自己愛に満ちた作家、カポーティの姿は、
冷血」での、冷静な筆致と相まって、とてもリアルに映る。
セレブに囲まれたNYでのパーティーでは、喜々として自慢話を繰り返し、
保守的な中西部では露骨に〝キモいヤツ〟として、軽い扱いを受ける。
犯人に取り入り、本をものにするためには、姑息な嘘も辞さない人間性が、
ホフマンの独特の存在感と相まって、グイグイと伝わってくるのだ。


つくづく、ホフマンってすごい俳優だな、とひたすら感心するしかない。
「ツイスター」「ブギーナイツ」の頃のちょっとした怪優のイメージから、
ビッグ・リボウスキ」「マグノリア」の時代の名バイプレーヤーを経て、
ついに名優の域にまで達しつつある、その活躍には思わず心が熱くなる。


実力派をずらりと揃えた助演陣も重厚な演技でホフマンをもり立てる。
アダプテーション」「遠い空の向こうに」のオスカー俳優クリス・クーパー
マルコヴィッチの穴」「40歳の童貞男」のキャスリーン・キーナー、
レディ・イン・ザ・ウォーター」「未知との遭遇」のボブ・バラバン
鈍色に重くのしかかるカンザスの空の下、
陰惨な事件に関わる関係者や、それに群がる人々を見事に再現する。


「冷血」の執筆模様を描くストーリーは、いわば〝インサイド・冷血〟だ。
冷酷に一家4人を死に追いやった〝冷血〟な犯人たちに心を惹かれつつ、
その犯人たちを徹底的に利用して、自らの本、そして名声につなげる〝冷血〟な作家。
象徴的なのは捜査に当たった保安官に、カポーティが本のタイトルを告げる場面だろう。
インタビューの時間稼ぎのため、犯人たちの控訴を手助けしておきながら、
得意げに「タイトルは、In Cold Blood(冷血)」と語るカポーティに対し、
アルヴィン・デューイ保安官=クーパーは、冷たい口調でこう言い放つ。
「それは、犯人たちのことを指しているのか、それとも自分自身のことか」
弁護士費用まで負担し、支援を行っておきながら、
ありとあらゆる嘘で、〝使える〟インタビューを引き出そうとするカポーティ
その姿は、親切めかして対象に近づいておきながら、その裏でバッサリと斬り捨てる。
器用に二枚舌を使い分け、関係者を利用する現代ジャーナリズムの先駆にも映る。


一方で、この「冷血」を最後に、本を完成させることができなくなった、
カポーティが、この本を取材・執筆する過程で崩壊していく様も興味深い。
事件当夜の話が引き出せなければ、「会う意味がない」と言い放ち、
死刑が延期されると「結末が書けない。ノイローゼになる」と、ストレスまみれになる。
リー・スミスや恋人への感情がうまく整理できず、こちらでも板挟みに苦しむ。
そのくせ、願っていたはずの死刑が執行されるとなると、思わず泣きだしてしまうという始末。
ナルシズムとエゴイズム、そして幼児性が混ざり合い、
どんどん袋小路に迷い込んでいくその姿には、薄ら寒さすら覚えてしまうのだ。


文学の歴史を変える傑作と、不滅の名声を手にしながら、崩れ落ちていくカポーティ
〝代償〟という言葉を思い出させるようなラストの後、
わびしさすら感じさせる余韻を残し、エンドクレジットは流れていく。
冷血」の衝撃を、また違う形で追体験できる、こちらも傑作だと思う。