梅田ガーデンシネマで「トランスアメリカ」

mike-cat2006-09-11



日本での公開遅れ、さらに大阪での公開遅れに加え、
前週は風邪で寝込んだこともあって、ようやく鑑賞にこぎつけた。
何せ、町山智浩氏のブログで紹介されたのがことし1月。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060104
アカデミー賞でのノミネートなどでひとしきり話題になって、
気付いてみたら、もう秋になっていた、という体たらくだ。
風邪引いたのは単に自分が悪いのだが、
東京と大阪の時差は何とかならないものか…
日本第2の都市(本当は横浜だろうけど…)にいながら、
つくづく、地方にいることの悲哀を感じてみたりする。


まあ、ぼやきはこれぐらいにして、あらすじ。
長年、性同一障害に悩まされてきたブリー(男名スタンリー)は、
翌週にも最後の性転換手術を控え、準備に余念がない中年〝女性〟。
しかし、突然かかってきた1本の電話。
知らされたのは、大学時代の、たった一度の経験でできていた息子の存在だった。
微罪で収監された〝幻の息子〟の身元引き受けのため、NYへ向かうブリー。
医者から手術の許可を受けるため、息子との関係構築が必要になってしまったブリーは、
〝父親〟であることを告げないまま、LAまでの大陸横断の旅を強いられることになった−


まず、この映画の最大の特徴は、やはりフェリシティ・ハフマンの演技だろう。
体は男に生まれながら、心は女性、というキャラクターを、女性が演じる。
乱暴な言い方をしてしまうと、女装する男性を女性が演じているという状態だ。
一見奇異にも映る手法なのだが、〝珍妙なオカマ〟的な描写を避け、
性同一障害のより本質的な部分に目を向けてもらうため、女性の配役を選んだという。


ちなみに、特殊メイクなどで何とかできる外見はともかく、
(何しろ、施術前なのでアレはついたまま。それも登場シーンあり)
一番難しかったのは、声だったという。
太い地声を隠しての女性声を、もともと地声でも何でもない女性が、
違和感なく演じなければいけないのだから、その苦労は計り知れない。
映画の冒頭では、性転換に伴うボイストレーニングのビデオが流れるが、
その涙ぐましい努力は、この1シーンだけでもグッと伝わってくる。


しかし、このフェリシティ・ハフマンの名演があったからこそ、
性同一障害という、ある意味色目で見られがちな題材を、
温かい視点から正確に描くと同時に、からりとした笑いの対象としても扱う、という、
簡単なようでなかなか難しい、バランスの取れた描写が可能になったと言っていいはずだ。
滑稽さ、そして切なさを絶妙に織り込んだロードムービーは、
ケンタッキー、アーカンソー、テキサス、アリゾナと続く旅を、優しく描き出していく。


今後ブレイク必至のケヴィン・ゼガール演じるトビーとの、
奇妙な〝父子〟の旅も、何とも愛おしく、そしておかしな味わいを醸し出す。
まだ見ぬ父との出逢いを夢見る、愛を知らずに育った息子。
存在すら知らなかった息子の存在に戸惑う父親、というか母親。
ぎくしゃくした出逢いから、次第に関係を築いていく、親子の再生もさることながら、
息子と向き合うことで、どこか未整理だった自分の人生そのものにも向き合う、
ブリーの姿がまた味わい深いドラマに仕上がっていているのだ。
ブリーが手術を終え、人生で一番幸せな瞬間を迎えたときに流す涙。
浮き立つような気持ちとは一線を画す、まったく異質の感慨は、
トビーとの旅を終え、さまざまな通過儀礼を乗り越えたからこそ、感じうるものなのだ。


監督・脚本を手がけたダンカン・タッカーは、初の長編メガホンとなった新鋭。
製作総指揮には、フェリシティ・ハフマンの夫でもある、
ウィリアム・H・メイシー(「ファーゴ」「カラー・オブ・ハート」)。
ラストに流れるドリー・パートンの歌う「Travelin' Thru」も、また感動を引き立てる、
ちょっとおかしくて、ちょっと切ない、上質のロードムービーだった。