梅田ガーデンシネマで「ローズ・イン・タイドランド」

mike-cat2006-07-11



未来世紀ブラジル」「12モンキーズ」のテリー・ギリアム最新作。
とここまで書いて、「ブラザーズ・グリム」とまるで同じ書き出しと気付く。
しかし、いかに自分に進歩がないか…、
と書き出してもまったく意味をなさないので、閑話休題
テリー・ギリアムの最新作は、いわばギリアム版「不思議の国のアリス」。
空想と現実が入り交じる、いかにもギリアム的な題材に満ちた、ファンタジーだ。


ジェライザ=ローズは「不思議の国のアリス」が大好きな空想がちな、10歳の少女。
両親はそろってドラッグ中毒で、注射の世話やマッサージに駆り立てられる毎日だ。
そんなある日、母親が過剰摂取<オーバードーズ>で急死すると、
父親はジェライザ=ローズを連れ、逃げるように故郷テキサスへ向かう。
干潟<タイドランド>のような、荒れ地の一軒家。
首だけのバービー人形に怪しげな魔女、
そして、潜水艦の艦長に言語不明瞭な灰色リス…
そこは、ジェライザ=ローズにとっての〝不思議の国〟だった−。


率直にいうと、ヤっちゃった…、という感じだろうか。
ジェライザ=ローズの空想と妄想が織りなす、幻想的な世界を、
テリー・ギリアムがどんな風にスクリーンに映し出すか。
そこらへんを楽しみにして、劇場に向かったのだが、
目の前に展開されるのは、ただただ趣味の悪い、グロテスクな世界。
冗長で退屈な展開も含め、2時間近い鑑賞に耐えうる作品とは言い難い。


ヘンな映画だからいけない、ということでは決してない。
過去のギリアム作品の、奇妙な感触は大好きだし、
ワケわかんないという文脈でいえば、デービッド・リンチなんかも最高だと思う。


だが、この映画のヘンさは、ちょっと承服しかねる〝ヘン〟なのだ。
まずは虐待としかいいようのない、家庭環境、
そんな現実から空想の世界に逃げる少女、という構図がどうにもいけない。
豊かな想像力で不思議の国へ、といわれても、どこかネガティブな印象がつきまとう。
ファンタジーというより、むしろ現実逃避としか思えないのだ。


頭だけのバービー人形との会話などは、
想像力の賜物というより、単なる多重人格の一症状という感じだし、
次々と起こるさまざまな事件への対応など、むしろネジの緩んだ子にしか映らない。
ましてや、ブレンダン・フレッチャー演じるディケンズとの絡みは、
ジェライザ=ローズの性の目覚めというより、
むしろジェライザ=ローズが小児性愛の対象に見られているようで、不快そのものだ。


何度も言うが、破綻しきったグロテスクな世界が悪いわけではない。
ブラザーズ・グリム」の時も〝まとまりが良すぎてもの足りない〟と、
書いた通り、破綻はむしろ大歓迎、グロテスクも大歓迎、なのだ。
だが、それはあくまでも〝とことん作り込んだ〟破綻、そしてグロテスクに限る。
ただ単に思いつくがままの世界を、何となく、
それもどこか投げやりに作っただけの世界を見せられるのはごめんこうむりたい。


ギリアム自身が、〝彼女がいなければ「ロスト・イン・タイドランド」になるところだった〟
(もちろん、「ドン=キホーテを殺した男」をポシャらせ、
 その顛末を「ロスト・イン・ラマンチャ」にまとめたギリアムの自虐ジョーク)
と、ほれ込む主役の少女、ジョデル・フェルランドにも、やや閉口させられた。


何でも、この作品での演技で、高い評価を得たらしい。
パンフレットの解説にも「〝子役臭〟がしない」とあるのだが、
どこがどう子役臭がしないのか、僕にはまったくもってよくわからない。
確かに巧いとは思う。だけど、いかにもな子役演技だ。
「わたしの演技、見てちょうだい」感、たっぷりである。
これよりクサい子役といえば、ダコタかオスメントか…というくらい、プンプン臭う。
スクリーンに映し出されるのは、空想に浸る少女、
というより、ただ単に自分の演技に酔う少女でしかないのだ。


そんなこんなで不快感ばかりが募る117分間。
時にはこういうハズレもあるからこそ、テリー・ギリアムなんだ、という、
ある意味強引すぎる理屈で納得するしかないのかもしれない。
「不思議の国」から解放され、うだるような暑さの中を、駅までトボトボ戻る。
それは、まるで自分が不条理な世界に突き落とされたような、不思議な感覚だった。