恵比寿ガーデンシネマで「ステイ」

mike-cat2006-06-17



大阪公開が待ちきれず、恵比寿に足を運ぶ。
ガーデンプレイスのパティオはいま、
ラベンダーにバーベナ、ひまわりなど夏の花で、
なかなか爽やかな彩りになっている。お勧め♪


さて、映画だ。
監督は「チョコレート」「ネバーランド」のマーク・フォースター
脚本は「25時」で原作・脚色、そして「99999(ナインズ) (新潮文庫)」のデヴィッド・ベニオフ
出演は「トレインスポッティング」のユアン・マクレガーに(というか、若きオビ=ワン…)、
「16歳の合衆国」「きみに読む物語」のライアン・ゴズリング
ザ・リング」「21グラム」のナオミ・ワッツという、豪華布陣の〝イリュージョン・スリラー〟だ。


NYで精神分析医を務めるサム=マクレガーは、
同僚が担当していた謎めいた患者ヘンリー=ゴズリングのセッションを肩代わりする。
時刻指定での自殺をほのめかすヘンリーは、
「雹が降る」との予言を的中させるなど、どこかおかしな雰囲気を醸し出す。
自殺未遂を犯した恋人ライラ=ワッツとの生活にも不安を抱えるサムは、
ヘンリーとの出逢いで、すっかり出口のない迷路に行き当たる。
フラッシュバックのようによぎる自動車事故の映像、
死んだはずの人間が、次々と現れ、時間と空間が入り交じる、不思議な出来事の数々、
そして、ヘンリーの絵に描かれる数々のブルックリン・ブリッジ…
いったい、サム、そしてヘンリーの身に、何が起こっているのか−


こうやってあらすじを書いてみると、
まさしく〝イリュージョン・スリラー〟ということが、よくわかってくる。
いわゆるサスペンス・スリラーとしての文脈から行くと、反則そのものだ。
ちょっとネタバレになるが、
あの視点で描かれた物語が、ああいう結末で終わる、と考えると、はなはだ整合性を欠く。
というか、整合性どうのこうのの問題を超越した仕掛けになっているのだ。


だが、そのカラクリはある意味映画の最初から提示されているし、
まあ細かい点を抜きにすれば、「つまり、そういう話」というのは、かなり序盤ではっきりする。
だから、あまりスリラー的な楽しみを追求しようとすると、かなりの肩透かしを喰らうこととなる。
つまり、この映画はスリラーとして観る映画ではなく、
むしろ、そういうスリラー的な舞台設定のもとでの、
いかにもベニオフ的な文学世界が展開されている、と考えた方がすっきりするのだ。


そうして考えると、すべては何かのメタファーであり、
謎めかした出来事も、ある人物の内面世界を反映していることが明快になる。
絶望であったり、愛情であったり、惜別であったり…
「人生は美であふれている」
不条理そのものだった作品世界のひとつひとつの事象にまつわる、
その感情の数々が、何とも言えない独特な感覚で、観るものに迫ってくるのだ。
「チョコレート」「ネバーランド」でフォースターと組んだ撮影監督、
ロベルト・シェイファーが映し出す、幻想的なNYの光景も、
郷愁と不安をないまぜにした、どこか不思議な印象を残してくれる。


率直なところ、仕掛けの部分で欠点も多い映画ではある。
だが、期待外れ、肩透かし、と切り捨てられない、〝何か〟がある映画でもある。
「16歳の合衆国」でも見せた、ゴズリングのどこか虚無的で、哀しげな瞳に導かれ、
気付くとその物語世界にはまってしまうような、
一種独特の魅力に満ちた、忘れがたい映画でもあるような気もしてくるのだ。