梅田OS名画座で「ぼくを葬る」

mike-cat2006-05-30



焼け石に水」「8人の女」のフランソワ・オゾン最新作。
東京より一カ月以上遅れて、ようやくの公開となった。
ちなみにタイトルの読み仮名は「ほうむる」ではなく「おくる」。
原題は〝LE TEMPS QUI RESTE〟、
英語だと〝TIME TO LEAVE〟ということになる。
なるほどこの邦題、無理矢理だがなかなかのくせ者だ。


新進気鋭のフォトグラファー、ロマン=メルヴィル・プポーはある日の撮影中に倒れてしまう。
検査の結果はガン。それも転移が進み、余命は3カ月と診断された。
わずかな可能性に賭ける、化学療法を拒んだロマンは、死と向き合い、残された時間を過ごす。
折り合いの悪い家族、若い恋人サシャ、慕っている祖母ローラ…
さまざまな感情が入り交じる中、模索を続けるロマンは、
旅先のカフェで出逢った女ジャニィから、奇妙な申し出を受けるのだった−。


海を見つめるシャーロット・ランプリングが印象的だった「まぼろし」と、
共通のモチーフを扱った3部作の1作品、という位置付けになる。
まぼろし」では愛する人の死、そしてこの「ぼくを葬る」では自らの死、
そして3部作最後の作品では、子供の死、を扱うという。


まぼろし」と共通するのはモチーフだけではない。
人生の終着点をイメージしたかのような、海辺の風景。
この「ぼくを葬る」も冒頭、ロマンが幼い頃に訪ねた海の回想が映し出される。
続くのは、陽光に包まれた目覚め、そしてかすかな暗転…
とらえどころのない不安を暗示しつつ、物語は始まっていく。
まぼろし」でも撮影を担当したジャンヌ・ラポワリーによる映像は、
瞬く間にやせ衰えていくロマンの肉体描写も含め、
美しく、切なく、しかし残酷なまでにリアルに、その死の過程をとらえる。


「余命数カ月」という設定は、さほど珍しいものではないだろう。
近年だと、サラ・ポーリー主演の「死ぬまでにしたい10のこと」なんかが秀逸だったし、
それこそ、お涙ちょうだいのドラマにいたっては、腐るほど製作されている。
映画や小説の世界でなくても、
〝もし余命数ヶ月と宣告されたら〟は、誰しも一度は考える命題であるはずだ。
混乱、自己憐憫、逃避、そして諦観…
実際その状況に置かれない限り、どうなるかは定かではないが、
パッと想像がつくのはこんなあたりだろうか。
最後にやりたいことをやって、思い残すことなく死んでいければ、とは思うだろうが、
その状況で本当にやりたいことが見つかるのか、
そして本当に思い残さないのか…、よくよく考えるとかなり難しいはずだ。


数多世の中にあふれるのは、それを甘い甘い夢で覆い、
生きて残る側にとって納得のいく〝悔いのない人生〟を描く、安直な〝死にざま〟。
だが、「まぼろし」でも見せたように、
フランソワ・オゾンは、どこか突き放した視点から、死を受容する主人公を描く。
ロマンはローラをのぞく周囲を拒絶し、余命3カ月の〝秘密〟を隠し通す。
優柔不断な父には、最後の抱擁をぞんざいに終わらされ、
不和が続いた姉とも、あくまで抑制を効かせた中での別れとなる。
そこには、死という残酷な現実と折り合いをつけるための、ロマンの心情が見え隠れする。


オゾン映画では「ふたりの5つの分かれ路」に続いての出演となる、
ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ演じるジャニィは、物語に絶妙なスパイスを加える。
死という圧倒的な現実の中で、さまざまな意味で対称的な非現実である。
ウェイトレスを務める店に訪れた、雰囲気のいい客への申し出。
不妊症の夫に代わって、わたしを妊娠させてほしい」
もちろんジャニィは最初知らないが、余命数ヶ月でおまけにゲイのロマンを相手に、である。
最初は戸惑い、申し出を断るロマンだが、
いつしかその申し出は、ロマンの断ち切りがたい生への執着を、死への受容に変えていく。
ポスターにもある、赤ん坊を抱いたその姿は、
ロマンにとってその時点で理想の死にざまでもあるのだ。


映画の中でロマンはこう語る。
「そんなことをして何になる、つねにその問いが頭を離れない」
確かに、子供を残したところで、究極的にはその問いからは逃れられないだろう。
だが、余命が3カ月だろうと、30年だろうと、
基本的に人生は「そんなことして何になる」なことだらけなのだ。
その中で、自分なりにどう〝そんなこと〟に向き合っていくか、そこにこそ人生がある。
もしかするとロマンは、単なる生存本能で生殖活動しただけかもしれないが、
その行為は、自分なりの死のイメージを創り上げる、その重要な過程でもあったのだろう。


海辺に横たわるロマン、そしてエンドクレジット。
潮騒がいつまでも耳に残る。
その安らかな余韻は、感動とはひと味違う、不思議な感覚で観るもののこころを打つ。
もし、余命3カ月と告げられたら、こんな死にざまもいい。
実際そんな状況におかれたら、
むしろこの映画で描かれる、静かな最期こそがいいのかもしれない。
できれば、酒池肉林の果て、を楽しんで悔いなく死ねる、そんな心理構造でいたいものだが…