西原理恵子「毎日かあさん3 背脂編」

mike-cat2006-04-27



西原理恵子、待望の最新作♪ である。
「鳥頭紀行」「できるかな」系のきわどさと、
ぼくんち」「ゆんぼくん」系の叙情詩的なペーソス、
それに子どもたちの成長を見守る温かい視線が交わる。
きわどくもあったかい、という、サイバラ印全開の作品だ。


カニ母、お入学、と来て、今回は〝背脂〟編。
子どもたちの成長とともに、たっぷりの背脂をまとったサイバラが登場する。
「まあじゃんほうろうき」の頃のギャルっぽい麻雀漫画家を思うと、
隔世の感があるな…、と書いてしまうと、
年齢上僕自身にもそれははね返ってきたりして、なかなか感慨深くもある。


おバカな長男、おしゃまな長女、ダメなもと旦那の鴨ちゃんサイバラ母・淑子さんと、
登場するメンバーは相変わらずの笑える暴走ぶりを存分に見せつける。
長男のクラスメートでもある、おバカな男の子たちには、
自らのこども時代を思い出しつつ、苦笑い交じりの笑いが浮かぶ。
幼くとも十分に〝オンナ〟な長女や、しっかりものの女の子たちには、
つくづく早熟な香りを感じつつ、これまた苦笑いというか何というか…


だが、今回は学校という小さな社会で、
勉強という課題にぶつかった長男に悩むサイバラの姿が印象に残った。
勉強が(致命的に)できなかった西原理恵子自身の苦悩を思い浮かべ、
机に向かって座っていることすらできない長男を見守るサイバラの姿には、複雑な想いもよぎる。
このマンガで読む限り、このコは一種の学習障害(この言葉の響きはよくないが…)
じゃないかとも思うのだが、勉強がまったくできない子に対して、
どう相対峙するか、という親の悩みがそこかしこからにじみ出ているような気もするのだ。


「勉強なんかできなくてもいい」。それはひとつの真理だ。
勉強ができなくても幸せになるひとはたくさんいるし、
勉強できることが必ずしもひとを幸せにするわけではない。
事実、サイバラはこうして、大きな成功を手にしている。
だが、あくまで確率的な問題でいってしまえば、
勉強ができないことがきっかけで、不幸な環境に陥る子は多いし、
勉強ができる、というだけで、過分な幸せを手に入れる子も多いのは確かだ。


もちろん親の温かい視線があれば、救いがあるし、それで十分なこともあるだろう。
それでも、勉強は〝社会化〟における一般的な目標基準として子どもの前に立ちはだかる。
自らが体験した苦しみや屈辱を糧に、どう子どもを導いていくか。
親とししての自分は成功したが、息子には…、の思いがよぎるのも無理はない。
そんなところに、ギャグの範疇ではどうしても収まりきらない、複雑な感情が読み取れる。


もちろん、読んでいてガハガハと笑える本であることには過去2作と変わらない。
だが、この長男のこれから、を考えると(他人様の子ども相手に勝手だが…)、
「子どもってのは…」と、笑い飛ばすだけではすまされない、
どこか不安も感じるような部分があるのも、確かなのだ。
この長男が無邪気なだけの男の子でいられなくなった時、
この作品がどんな方向に向かっていくのか…。そんな思いもよぎる最新刊だった。

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