シネリーブル梅田で「ヒストリー・オブ・バイオレンス」

mike-cat2006-04-17



デービッド・クローネンバーグ、3年ぶりの最新作。
前作「スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする」は、
パトリック・マグラアの原作「スパイダー (ハヤカワepi文庫)からしてヘンな話で、
トリッキーさが、クローネンバーグらしさを相殺してしまい、
クローネンバーグ印としては、ともすれば印象の薄い作品でもあった。


だが、何せこんどは〝バイオレンス〟である。
そして、ヴィゴ・〝アラゴルン〟・モーテンセンに、
エド・ハリス(「アビス」「トゥルーマン・ショー」)、
ウィリアム・ハート(「蜘蛛女のキス」「ヴィレッジ」)の濃ゆいキャスト。
で、「アサルト13」で端役ながら、好印象を残したマリア・ベロも登場する。
そうとなれば、「クラッシュ」「イクジステンズ」以来となる、
クローネンバーグらしい、傑作を期待するのは、自然の摂理というものだ。


舞台は中西部の田舎町、インディアナ州ミルブルック。
小さなダイナーを経営するトム・スコール=モーテンセンは、
温厚な夫にして頼りになるパパ、そして地元のよき住人。
ある日、ダイナーにならず者の押し込み強盗が現れる。
信じられないような身のこなしで強盗を葬ったトムは、一躍地元の英雄に。
そんなトムのもとに、片目をえぐられた黒服の男が訪れ、こう呼び掛けた。
「ジョーイ」。
それは、封印された過去を呼び起こす名前だった−。


過去を持つ男が、ある事件をきっかけに−。
この図式は、過去には西部劇でもお馴染みだし、
高倉健あたりの映画でも数々あったのではないか、と思う。
だが、それを〝内臓感覚〟のクローネンバーグが撮ると、どうなるか。
そこらへんが何よりも注目だったわけだが、
いわゆるグチャグチャドロドロ描写自体は、かなり控えめといっていいだろう。


まあ、銃で撃たれて顔が吹っ飛んだ男とか、
再三の打撃で鼻を抉られた男、などといった場面は数々あるが、
「クローネンバーグの映画」として見れば、まあ大人しいものである。
だが、むしろ、そうした描写を抑えめにすることで、
内に秘めた暴力と、暴力への本能的な忌避、
二律背反の感情を描くという、部分を強調したようにも思える。
暴力の世界を遠ざけようとしながらも、
暴力の必要に駆られ、まるで魅入られるように暴力を用いていく。
そんなトムの苦悩が、画面の端々から伝わってくる。


暴力に魅入られるのは、トムだけではない。
稼ぎでは遙かに夫を上回る、弁護士の妻エディ=マリア・ベロも、
家族を守るための夫の暴力に震撼し、その暴力を嫌悪しつつ、
なぜかその夫の姿に、危険な情欲を抱いていく。
夫のその姿を目撃する前と、目撃後の二度にわたって描写される、
ふたりの情事の変貌ぶりは、いわゆる背徳のエロティシズムを感じさせる。
よぶんなモザイクがなければ、もっとよかったんだが、まあそれはまた別の話。


脇を固めるエド・ハリスウィリアム・ハートを始め、
冒頭で強烈な印象を残す強盗レランド=スティーヴン・マクハティら、
悪党どもの描写は、もう見事のひと言に尽きる。
これだけ悪役サイドに〝顔〟を揃えられると、
元来悪人顔(失礼…)のモーテンセンすら、いい人に見えてくる。
もちろん、ここ一番で瞳に鋭く浮き立つ、妖しい光との対比が狙いだから、
本当の意味での〝いい人〟とは、大きくかけ離れてはいるのだが…


と、ほめ言葉ばかりを連ねてはいるのだが、
じゃあこの映画がクローネンバーグらしい傑作か、というと微妙な点も残る。
難は何よりも、まとまりのいい話に終わってしまっている点だろうか。
「暴力を封じるには、暴力しかない」という、
矛盾を内包するメッセージはまずまずうまく伝わってくるのだが、
矛盾を内包した映画ならでは、の破綻した印象がないのが、とても残念だ。
暴力描写に関しても、別にスプラッタ描写を見たいわけでもないが、
スキャナーズ」「ヴィデオドローム」と、数々の異色ホラーを生み出した巨匠の作品としては、
その意味としては分かるが、正直ちょっともの足りない部分が大きい。
わがままなクローネンバーグ・ファンとしてはやっぱり、
もっと破綻してて、イカれたグチャグチャドロドロも観たかったな、
なんて思ってしまう、きょうこの頃なのであった。