梅田OS名画座で「白バラの祈り」

mike-cat2006-03-23



アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。
第二次世界大戦当時、ヒットラー政権下のドイツで、
反ナチ活動に命を捧げたゾフィー・ショル。
そのゾフィーを演じたユリア・イェンチが、ベルリン映画祭銀熊賞(女優賞)、
ヨーロッパ映画祭でも女優賞を獲得し、評判を呼んだ作品だ。


1943年、ヒットラーによる国家統制がますます強まるドイツ。
反ナチ活動を展開する学生グループ、白バラは、
スターリングラード攻防戦でのドイツ軍撤退を受け、
反ナチのビラをミュンヘン大学でばらまき、戦争終結を訴えた。
しかし、ゾフィーたちはビラまきの現場をとらえられ、
ゲシュタポの執拗な取り調べを受けることになった。
信じられないスピードで進行する裁判で、ゾフィーたちの命は風前の灯火に。
しかし、ゾフィーたちの信念は、決して揺るぐことはなかった−


話はもうベタベタといっていいほど、ストレートな作品だ。
いたずらにドイツ人を危機に陥れるナチスに対し、怯むことなく立ち向かった若者。
レジスタンスへの見せしめとして、スピード処刑されたゾフィーたちは、
実際のところナチ政権崩壊には直接関わることもなければ、
敗戦に向かって崩壊していくドイツ軍の犠牲を食い止めることもなく、
敗戦後のドイツを建て直す、力になることもできなかった。
敗戦への流れを考えれば、無駄死にという考え方もあるだろう。
だが、国民の誰もがナチスに賛同し、全世界を混乱に陥れたわけではない、
という、ドイツ人にとってわずかに残された矜持をもたらすだけでも、意味はある。
そして何より、不条理に対して、逃げることなく立ち向かう姿勢、
そこにこそ価値がある、それを真っすぐに訴えかける、メッセージ性の強い作品だ。


ストーリー展開も、愚直といっていいほどのストレートさ。
ビラまきから処刑まで、ほぼ時系列に従って、丁寧に描いていく。
執拗な取り調べ、不条理そのものの裁判を、
実直な語り口で描き、史実を正確に再現しようという試みだ。
流れとしては時にやや中だるみもあったり、
もっと時間をたっぷりかければいいのに…、と思う場面もあったりと、
決してテンポ的には心地よいとは言い難い面もあるが、
その硬質なやり方だからこそ、
ゾフィーたちの無念などさまざまな要素が伝わってくる面も否定できない。


そんな作品の中で、何より印象的なのは、
ゾフィーを演じたユリア・イェンチの凜とした表情、そして真っすぐな瞳だろう。
ただただ堅い信念、鉄の意志を演じただけではない。
その中に内包する戸惑い、こころの揺らぎを抑えこむ様子まで演じきったからこそ、
ゾフィーという人間のキャラクターに対し、深いレベルで感情移入できる。
反ナチ、反戦を訴え、死刑の判決を前にしてもなお、
裁判官に向かって「次にここに座るのはあなたたちだ」と言い切ったゾフィーが、
あまりに迅速な処刑執行を告げられ、ひとり慟哭するシーンが忘れられない。
強固な信念をもってしても、突然の宣告の前では弱さも顔を見せる。
強さだけでない、人間ゾフィーの哀しみが、観るものの胸に突き刺さる。


ゾフィーの揺るぎない信念に相対し、
ヒットラー信奉の気持ちが揺らぐゲシュタポ審問官や、
共産主義者の過去を拭うため、ナチ以上にナチらしくゾフィーを追いつめる裁判官など、
ゾフィーに関わる体制側の人間にも考えさせられる部分は多い。
「ナチこそが(一次対戦)敗戦国だったドイツに自信を甦らせた」と、
妄信的に信じている、ある意味で〝普通〟と思っている人間が、
当時どれだけ普通にドイツの街を闊歩していたのか。
戦中の〝犯罪行為〟がなかったかのように、
終戦後のドイツでも民主裁判に従事した法曹関係者たちは、何を思っていたのか。
そして、日本という国にもおいても特高警察などが果たしていた役割は、
これに似たようなものがあったのじゃないか、などなど…


映画としての娯楽性には当然ながら欠けるものの、
やはり見応えは十分の映画といってもいい。
まあ、体調不十分で観ると、居眠りは必至の静かな雰囲気だから、
そこらへんは要注意、でもあるのだが…