シネリーブル梅田で「ブロークバック・マウンテン」

mike-cat2006-03-21



1963年、ワイオミング州ブロークバック・マウンテン
移動牧羊の季節労働で、二人のカウボーイは出会った。
寡黙で不器用なイニス=ヒース・レジャーと、
陽気で楽天的なジャック=ジェイク・ギレンホール
ほとんど口もきかなかった二人だが、
ある夜ふとしたきっかけから結ばれることになる。
ワイオミングの美しい自然に包まれながら、毎日を送る二人。
それは、美しくも切ない、至上の恋の始まりだった−。


先日発表されたアカデミー賞では、
まさかのどんでん返しで「クラッシュ」に作品賞をさらわれ、
かえって話題になってしまったという、いわくつき?の作品。
人種差別と、ゲイ問題、よりストレートな話題にしやすい、
人種差別を扱った「クラッシュ」に流れたという選択は、
安直だが、まあ何となく理解できるような気はする。


しかし、正直映画を観て驚いた。
というか、原作を読んだ時も感じたことだが、
http://d.hatena.ne.jp/mike-cat/20060223
この作品、別にゲイ問題を描いた社会派作品でも何でもない。
描かれているのは、社会的制約の中で燃え上がるふたりの恋だ。
ワイオミングの壮大な自然に包まれ、ふたりで過ごす時間こそが、
ふたりにとって、本当の人生だった、という美しく、切ないラブ・ストーリー
ただ、そのふたりがアメリカ的マッチョの象徴たるカウボーイ同士による、
男と男の恋物語だった、というだけなのである。
逆に言えば、カウボーイというものが、
まだまだ、アメリカの保守層にとって神聖たる存在であることと、
まだまだ、ゲイに対する宗教的、生理的嫌悪感が強いことを示していると思う。


映画としての価値を単純比較はできないが、
完成度という意味では正直この「ブロークバック〜」、「クラッシュ」より一枚上手だ。
「クラッシュ」もこころに突き刺さるような、哀切極まる描写が光ったが、
群像劇を締めくくるラストが、少し観るもの任せの感は強かった。
それはそれで別に悪くないやり方だが、
人種問題であそこまで問題提起しておいて…、という見方はできる。
その点、「ブロークバック〜」は観るものを突き放すことなく、哀しい恋の終わりまで描ききった。
となれば、どちらも傑作ながら、二者択一を強いられた場合は「ブロークバック〜」となる。


そして、映画の素晴らしさを語り出したら、きりがないぐらいの傑作だ。
まずはアカデミーの主演男優賞候補にもなったヒース・レジャーだ。
抑えめながらも印象深い、めりはりを効かせた演技は、
「ロック・ユー」「ブラザーズ・グリム」のおバカ系とは一線を画す。
もごもごとした物言い、少年時代の体験が影を落とす鬱屈した性格…
イニスの抱える熱情や葛藤など、複雑な感情が完璧に表現されている。


ふたりの秘密を知り、苦しむイニスの妻を演じたミシェル・ウィリアムズもいい。
「ミー・ウィズアウト・ユー」での好演が記憶に鮮やかな25歳は、
いかにも不幸を引き寄せてしまうような、薄幸にして陰気な表情で、
イニスとジャックの禁断の愛を彩るバイプレーヤーとして静かな輝きを放つ。
実生活でも薄幸なんじゃなかろか、と心配にもなるのだが、
この映画での共演をきっかけにヒース・レジャーと結婚、
オスカーの授賞式では、隣に座る夫に熱い視線を送っていたらしい。


もちろん、ジャックを演じたジェイク・ギレンホールも素晴らしい。
ドニー・ダーコ」「グッド・ガール」で見せた、陰のある繊細さとひと味違い、
一見お気楽者だけど、どこか煮え切らない、複雑な性格を、
相も変わらず抜群の力量で、雰囲気たっぷりに演じ上げている。
原作にあった、ジャックの少年時代のエピソードは映画では割愛されているが、
レンホールの演技はそれをカバーし、ジャックのキャラクターを魅力的に見せる。


そしてこの作品の何よりの魅力といえば、
壮大なワイオミングの自然と、印象的に映し出される空だろう。
実際の撮影はアルバータ州カルガリーだというから、
アメリカ西部の郷愁、というのとは微妙に違うのだが、
その美しさに、カナダもアメリカもない。
まあどっちも北米大陸の西側だから、当たり前といえば当たり前だが。
それはともかく、そんな風景をを見ているだけで、
胸がキュッとしてしまうぐらい、圧倒的ともいっていい美しさなのだ。


少年時代の出来事がきっかけで、大事な一歩を踏み出せないイニス、
器用に立ち回りつつも、大事な何かがぽっかり欠けたままのジャック、
1年に数度、ひとめをはばかるように重ねる逢瀬の美しさ、切なさ、
その一方で、傷つけられ、孤独を味わうアルマたち女…
誰もが満たされないまま、苦しみを抱えて生きていく。
そして迎えた結末には、思わず涙を流さずにはいられない。


エンドクレジットが終わると、ゲイがどうのこうの、という問題はどうでもよくなる。
もちろん、性同一障害の女性を描いた「ボーイズ・ドント・クライ」同様、
偏見と差別に満ちた保守的な社会の中で、
はみ出してしまった人たちを描いた点では、社会派的な視点もある。
だが、それはあくまでも舞台設定のひとつでしかない。
あくまで描きたいのは、その社会的制約の中で自分の居場所を探し続けた人たちの物語。
その中でもがき苦しみ、それでも自分を追い求めたからこその美しさ、
そして追い続けることができなかった故の、哀しさ、切なさが身に染みる。


劇場に灯がともる。
それでもボーッとしながら、しばし作品の余韻に浸る。
ワイオミング(カルガリー)の自然をまぶたの裏に思い浮かべ、
イニス、ジャック、アルマたちの熱く、切ない思いに思いをはせる。
また、素晴らしい作品に出会えた喜びが胸を突き上げるのだった。