心斎橋・パラダイスシネマで「ウォーク・ザ・ライン/きみにつづく道」

mike-cat2006-02-19



ゴールデングローブ賞で作品賞(コメディ/ミュージカル部門)、
主演男優、主演女優の3部門に輝いた、ジョニー・キャッシュの生涯を描いた伝記映画。
アカデミー賞(3月5日発表)でも主演男優、主演女優を含む5部門でノミネート。
ジョニー・キャッシュホアキン・フェニックス
ジューン・カーターにリース・ウィザースプーンの、非常に香ばしいキャスト、
さらにその二人が吹き替えなしで数々のナンバーに挑むのも魅力的だ。
監督はアンジェリーナ・ジョリーウィノナ・ライダーの「17歳のカルテ」に、
ヒュー・ジャックマンメグ・ライアンのロマンス・コメディ「ニューヨークの恋人」、
ジョン・キューザック主演のサスペンス「アイデンンティティー」と、
さまざまなジャンルで傑作を世に送り出している、ジェームズ・マンゴールドときた。
必見! の要素を並べ立てたらもう、きりがないほどの作品だったりする。


1950年代を駆け抜けたロカビリー・ブームの立役者のひとりジョニー・キャッシュ
アーカンソーの綿実小作農家に生まれ、
幼くして兄との悲劇の別れを経験したジョニーの生涯と、
こども時代からの憧れだった、カントリー歌手ジューン・カーターとの恋の物語−


ミュージシャンの伝記映画としては、おきまりのパターンである。
こころに傷を負った少年時代、音楽だけが友達だった。
なかなか芽が出ない苦節の時代を経て、ようやくつかんだチャンス。
しかし、そこには成功の甘いワナが待っていて、
ドラッグにはまって、家庭は崩壊、オーバードーズに逮捕、スキャンダル…
それでも、見守ってくれた恋人とついに結ばれていくとことまで、もうベタベタだ。
昨年、ジェイミー・フォックスがオスカーを手にした「Ray/レイ」とどこが違うんだといえば、
ジョニーとジューンの、じれったいまでの恋物語がクローズアップされている点。
主人公の人種と、音楽のジャンルぐらいしか明快な相違点はない。
破天荒な生涯を送ったアーティスト、という視点でいけば、
過去に何百本の映画が製作されたのか、数え切れないほどだろう。


だが、そうした作品群の中においても、
この「ウォーク・ザ・ライン」には、あふれんばかりの魅力が詰まった作品である。
まずは最初にも書いた通り、主演の二人だ。
ホアキンといえば、「グラディエーター」の屈折した皇帝コモデゥスもさることながら、
あのトンデモ傑作「サイン」や「ヴィレッジ」での怪(快)演など、
何ともいえない味わいを持った俳優として、存在感を示している。
しかし、この作品のホアキンはその独特の存在感に、スターとしての輝きを加えた。
こころに葛藤を抱え、屈折した、人間ジョニー・キャッシュを描き出すだけでなく、
ロカビリー・スターとしての佇まい、カリスマ性まで、再現した。
とても〝自称音痴〟だったとは思えない、ステージ・パフォーマンスもすごい。
自信なさげに歌うゴスペルの不安定な声質が、
ロカビリー、そしてジューンと歌い上げるカントリーのナンバーでは一転、
自信に満ちた重低音で、会場の熱狂を誘うジョニー・キャッシュの世界を創り上げる。


キューティ・ブロンド」シリーズや「メラニーは行く!」で、
当代一のコメディエンヌとしての地位を確立したリース・ウィザースプーンも、
この作品では保守的な南部で、離婚を乗り越え、力強く生きる女性を見事に演じきる。
最初はちょっとダイエットのしすぎで、あのアゴがさらに目立ってしかたないのだが、
本物のジューン・カーターの姿を写真で見て、「なるほど」と納得した。
似てる。笑顔の奥に芯の強さを感じさせる顔の線、そして凜とした瞳。
ルイジアナ出身というだけに、イントネーションはお手のものなのだろうが、
カントリーの元祖、カーターファミリーのひとりジューンが、生き生きとスクリーンに甦る。
そうそう、こちらの歌も見事のひとことに尽きる。
「ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」のミシェル・ファイファーを思わせる、パフォーマンスだ。


もちろん、何より印象的なのは〝人間〟ジョニー・キャッシュと、
それを見守るジューン・カーターの物語、それに尽きることは言うまでもない。
映画の前半でツアーを組んでいた〝キング〟エルヴィス・プレスリーや、
〝ザ・キラー〟ジェリー・リー・ルイスなどと比べると、破天荒ぶりはいまひとつだ。
もちろん、ファンをつまみ食いして、家族をないがしろにして、
ドラッグ(それも覚醒剤)にはまって…、とフルコースで崩壊はする。
こころの傷に悩み続ける一方で、刑務所でのライブなど、社会に対する反骨も忘れない。


こういったあたりは、完全に〝いかにも〟なミュージシャンなのだが、
その中に、いわゆるアーティストを名乗る連中独特のナルシシズムが希薄なのだ。
ミュージシャン、アーティストといえば、壮大な自己愛の果ての崩壊が定番。
もちろん、ジョニーの場合もこども時代のトラウマがもたらす、
「自分を認めて欲しい」的な渇望に溢れてはいるのも確かなのだが、
それ以上にジューンへの憧れや、理想と現実の隔たりに悩む姿が、
「愛に生きる」ジョニー・キャッシュの姿を浮き彫りにしている。


正直なところ、クライマックスたるプロポーズの場面に向け、
盛り上げ方が足りず、ちょっとあっけない印象があるのも確かだが、
転落を続けるジョニーと訣別しようとするジューンを、
「お前まで見捨てるのか?」と問いかけ、自らも手を貸すジューンの両親など、
観るもののこころをグッとつかんで話さない場面は、数限りない。
兄の死をめぐる、ジョニーの父との確執なども描き足りない面はあるのだが、
出演陣の好演が、小説でいえば行間に当たる部分をカバーしている。
ここらあたりは、マンスフィールドの演出も効いているのだろうな、と勝手に想像。


作品全体の印象としては、昨年の「Ray/レイ」の記憶が新しいだけに、
微妙にインパクトというか、パンチに欠ける印象も否めない。
そのへん、アカデミー賞選考の方でも、もしかしたらマイナスになるかも、という不安はある。
だが、純粋に出来だけで見た場合、決して劣る部分はない作品だ。
レイ・チャールズと比べ、ジョニー・キャッシュに関する知識はないに等しく、
音楽に対する思い入れも、ほとんどない状態だったが、それも問題にはならなかった。
かなりの高い期待値を持って観た作品だったけど、それにもきっちり応えてくれたと思う。
アカデミー賞、ほかの作品はほとんど観ていないけど、
少なくともそのレベルには十分すぎるほど達しているんじゃないか、と。
そんな思いと満足感を胸に、アメリカ人とリーゼントのニイちゃんがたむろす劇場を後にした。