梅田ナビオTOHOプレックスで「秘密のかけら」

mike-cat2006-01-17



「スウィート・ヒア・アフター」のアトム・エゴヤン最新作は、
ケヴィン・ベーコンコリン・ファースアリソン・ローマンの豪華キャストで、
50年代ショウビズ界の光と闇を描いた、官能サスペンス。
キャストだけ見るとエゴヤン作品とは一線を画すものの、
その雰囲気たるや、まさにエゴヤン風味、といった感じの作品だ。


舞台は1972年のLA。
新進のジャーナリスト、カレン・オコナー=ローマンが追うのは、
かつてショウビズ界を席巻しながら、人気絶頂の15年前突如解散を発表した、
ラニー・モリス=ベーコンとビンス・コリンズ=ファースのコンビ。
解散直前に起こったホテルでの女性変死事件、
そしてカレン自身も出演したラニー&ヴィンス司会のテレソン(寄付を募る番組)…
ショウビズ界と光と輝き、そして闇に葬られた真相を探るうちに、
カレン自身も、退廃的な闇に引き込まれていく−。


繰り返される時間軸の中で描かれる、二層三層に織り込まれたショウビズ界の闇は、
観る者をも闇の中に引きずり込むような、爛れた魅力を放つ。
特に話題となった(というか、お目当て?)の官能描写は印象的だ。
ビッグ・フィッシュ」で強い印象を残したアリソン・ローマンが、過激な濡れ場に挑む。
特に「不思議の国のアリス」がモチーフとなる場面は、
デーヴィッド・リンチ「マルホランド・ドライブ」に匹敵する妖しさを放つ。
変死を遂げたモーリーン=レイチェル・ブランチャードや、
コリン・ファース(!)まで加わった、〝その場面〟は、ある意味必見かもしれない。


ジャーナリストを名乗り、真相究明を大義名分に掲げながら、
かつて憧れだったラニーとの距離を保てなくなる、その揺らぎも興味深い。
同時に、ただいたずらに真相を追求していくことが、
どんな結果をもたらしていくのか、カレンは身をもって知ることになる。
まだ、いわゆるタブロイド紙が存在せず、スキャンダリズムが世に横行する前の時代。
近づくべきでない闇が、闇のままに葬られていた時代、
その時代へのノスタルジーもにじませ、情感たっぷりに描かれる。
ゴヤン組の撮影監督ポール・サロッシーによるカメラワークは、
ばばゆいばかりに映し出される光、妖しく蠢く闇を印象的に対比させる。
そして、その光と闇は時に、
重なり合うような、融け合うような、独特の色彩で世界を構成していく。


ミステリーという意味では、微妙に焦点はぼやけている。
ようやくたどりついた真相も、最後はどう意味づけされるのか、微妙な扱いだ。
だが、その曖昧さこそが、このサスペンスに格別の味わいを与える。
むしろ、リンチの描く不条理世界の方が近いイメージだろう。
意図的に曖昧さを描いた失敗作が世の中には山とあるが、
この先品に関しては、描写される曖昧さのバランスが心地よい。


映画が描きたかったメッセージそのものも、ある意味曖昧だ。
ゴヤンは、さまざまなテーマを投げかけつつ、
その結論については、観る者の判断に委ねているような印象を与える。
それは、映像同様、何ともいえない複雑な色彩を放つ。
そしてエンドクレジットが終わると、頭の中には心地よい混乱が巻き起こる。
考えれば考えるほど、迷宮にはまっていくような、不思議な余韻。
「スウィート〜」などと比べると、微妙な評価になるかもしれないが、
さすが、アトム・エゴヤンと納得してしまう作品だった。