ロバート・J・ソウヤー「ゴールデン・フリース (ハヤカワ文庫SF)」
ちょいとご無沙汰気味だったソウヤー作品。
ソウヤーの出世作にして、処女長編となる。
ギリシャ神話をモチーフにした倒叙ミステリ、ということになるらしい。
舞台となる宇宙船の名前は「アルゴ」。
ウィキペディアによると、「黄金の羊の毛皮」(ゴールデン・フリース)を求め、
黒海東端のコルキス(現グルジア)に旅立った英雄たちの船に由来する、という。
そして、この作品の特長としては、「刑事コロンボ」よろしく
犯人が始めから判明している倒叙ミステリの、一人称の語り手が犯人であること。
その上、その犯人は、宇宙船「アルゴ」を制御するコンピュータ〝イアソン〟であること。
「2001年宇宙の旅」のHALを思わせる、この犯人の一人語りは、
ソウヤー独特のSF的ひねりも加わって、非常に読ませる小説に仕上がっている。
宇宙都市計画「スターコロジー」の一環として、10000人余の人々を乗せ、
47光年彼方のエータ・ケフェイ星系を目指す宇宙船第一号機「アルゴ」。
その制御を司るコンピュータの〝わたし〟はある日、
星間旅行に関わる重大な秘密を知った科学者ダイアナを自殺に見せかけ、抹殺する。
その死に疑惑を投げかけるのは、ダイアナの元夫、アーロン。
アーロンの捜査の手は、着々と〝わたし〟に向かってくるのだった−。
疑惑のきっかけとなるのは、ダイアナが浴びた異常な量の放射能。
それが、なぜ〝わたし〟がダイアナを殺したのかのカギとなる。
作品の大きな軸となるミステリについては、
多少SF的、というか物理学的な難解さも感じるが、
理論的な部分をそこまで正確に読み取ることができなくても、
謎解きの楽しみは十分に味わうことができる。(と思う)
何しろ、物理・化学・生物いずれも赤点の僕が言うから間違いない。(はず)
しかし、やはりソウヤー作品の味わいは、
SF的手法からの、発想の転換がもたらす不思議な世界観や、ジョークの数々だろう。
もちろん、それを挙げだしたらきりがないのだが、
やはり、コンピュータのイアソンがらみが面白さでは郡を抜いている。
監視カメラで乗組員の行動を見張る一方で、
乗組員のデータがすべて詰まったデータバンクにリンクしているイアソン。
自らのアリバイ作りをしてみたり、疑惑を投げかけるアーロンを煙に巻いてみたり。
コンピュータならではのロジックと、人間らしさのバランスがとても面白い。
たとえば、こんなシーンだ。
自殺に偽装されたダイアナの死に罪悪感を覚えるアーロンを、
現在の恋人であるキーステンが励ますシーンだ。
「こんなことで自分をいじめちゃいけないわ」「自分を責めないで」
〝わたし〟イアソンは、こう繰り返すキーステンの、学生時代の成績を参照する。
あまり芳しい成績を残せなかったキーステンが苦戦する様を、
皮肉まじりに揶揄するイアソンは、どこかユーモラスにすら映る。
8年間に渡り、船に〝閉じ込められた〟人間たちが、どう変化していくかも興味深い。
〝船内にはあらゆる種類の娯楽施設だけではなく、
研究室や、教育施設や、図書館なども完備されている〟
〝たしかに船は快適だった。
乗組員達はそれぞれが興味を持つことにたっぷりと時間をさくことができた。
生活の心配も、国家間の緊張も、環境破壊も、まったく縁がなかった〟
それでも、なのだ。それでも人々は
〝退屈し、おちつきをなくし、反抗的になっていく〟のだ。
監獄生活にうんざりし、果てしない旅にうんざりしていくのだ。
実際、どうなのだろうか、と考えてしまう。
もちろん完備された娯楽の〝あらゆる種類〟の定義が、
どこまで〝あらゆる〟なのかは、大きな問題だろう。
宇宙船という条件を考えると、地球の最新情報はアップデートされないし、
たとえば映画の最新作であるとか、お気に入りの作家の新刊には出会えない。
この時点で〝あらゆる〟という意味は微妙に狭義のものとなる。
ほかにも、物理的な条件も多い。
旅行大好き、食べ歩き大好き、というのも基本的には無理だろうし、
そのほか大きなスペースを必要とする趣味は、不可能となるはずだ。
オカネの心配がない、というのも楽しみのスパイスを奪うだろう。
ギャンブルなど、いくら儲けても意味がなかったらどこまで楽しいのか。
とはいえ、この状況も場合によっては悪くないかな、とも思う。
たとえば、働く必要もなく、生活の必要がないなら、というのは魅力的だ。
出発時点までに刊行された本や映画がすべて宇宙船で手に入るなら、
8年間という時間を自由に使って過去の作品を振り返るのも言いかもしれない。
どうせ一生かかっても、読み切れない観切れないくらいの本や映画があるのだ。
むしろ、新作に追われることない分、じっくりと楽しめるのかも知れない。
そんな感じで、色々と想像を巡らすことができるのも、この本の魅力だろう。
作品そのものの評価、ということで考えると、
いままで読んだソウヤー作品と比べ、傑出しているとは思えない。
しかし、ソウヤー作品のファンなら、間違いなく楽しめる一冊であるのも確か。
未読のソウヤー作品もだいぶ少なくなってきたが、
この作品の水準を保ってくれれば、今後も楽しむことができそうだ。