梅田ガーデンシネマで「ハッカビーズ」
ことし「クローサー」「アルフィー」とハズしてくれたジュード・ロウの本命。
大阪ではようやくの公開とあって、期待で胸を膨らませ、遠路スカイビルに向かう。
しかし、指定席のはずのガーデンシネマが自由席。どうも、入りが悪いらしい。
まあ、もともと大阪のようなスモールマーケットでは、こういう作品は弱い。
作品の出来どうこうは関係ない、と信じたいが、不安が首をもたげる。
さて、その行方は…
オタクな青年アルバート=ジェイソン・シュワルツマンは、環境保護の活動家。
地元の森と沼を守るため、
〝安くていいもの勢ぞろい〟のスーパー、ハッカビーズの新店舗建設に反対運動を起こす。
しかし、ハッカビーズの若手役員ブラッド=ジュード・ロウの、
巧みな口八丁手八丁にしてやられ、逆に運動を乗っ取られる始末だ。
ある日、3度にわたって偶然アフリカ人を見かけたアルバートは、
実存主義を取り扱う〝哲学探偵〟のもとを訊ねる。
常識はずれな探偵たち=ダスティン・ホフマン、リリー・トムリンの暗躍に、
そのライバル、カテリン=イザベル・ユペールや、
ブラッドのお手付きキャンペーンガール(ガールという歳じゃないが)=ナオミ・ワッツ、
石油使用反対を掲げる消防士トミー=マーク・ウォールバーグらヘンな奴らが加わり、
事態はどんどん混沌を極めることに。
果たして、運動の行方は。そして、人生の真理は見つかるのか?
こうして挙げると、つくづく豪華なキャストだな、と感じる。
それも、それぞれが香ばしくヘンな連中を喜々として演じている。
まずは、ジュード・ロウといきたいところだが、実は主演じゃない。
ポスターはそのまんまロウの映画っぽいが、主演はジェイソン・シュワルツマン。
(「スパン」「天才マックスの世界」、最近だと「奥さまは魔女」)
それも、見ようによってシュワルツマンは、群像劇の狂言回し、とも取れる。
ジュード・ロウのコメディ初挑戦、というのは確かにトピックなのだが、
あのプロモーションで、この扱いというのは、かなり不満の残るところだ。
それはともかく、シュワルツマンだ。
このテのオタク青年を演じさせたら、やはりいまピカイチだろう。って、褒めてない?
いや、「天才マックスの世界」以来、
インパクトのあるまゆ毛と、思い込みの激しそうな瞳、そしてその演技はますます磨きをかけている。
まあ、映画全体を見回すともっとヘンな連中が揃っているため、
演技自体はやや抑えめだけど、かえってその〝ヘン〟がにじみ出て、いい感じだ。
で、助演一番手がジュード・ロウ。
スーパー、ハッカビーズの軽〜い若手役員を喜々として演じる姿は、なかなかだ。
最近の間抜けな不倫騒動なんか見てると、
これが本質じゃないか、と思うところもあるが、まあそれはあくまでスクリーン外の話。
あの能天気な笑顔とお調子者ぶり、そこからの変化など、さすがの演技力を感じさせる。
もちろん、正統派のロウのファンとしては、「こんなジュードが観たいわけじゃ…」
とはなってしまうのだろうけど、あくまで映画としては悪くないと思う。
ダスティン・ホフマンとリリー・トムリン(「レイト・ショー」「ナッシュビル」)の
哲学探偵夫妻は、この映画のコメディ部分のもっとも多くを担う存在といえる。
聞いているだけで笑ってしまう、インチキ臭い哲学論議は、戸田奈津子のダメ訳を介してすら笑える。
(いや、もちろん誤訳脱訳だけで飽きたらず、誤字脱字までカマしているから、怒りは覚える)
まあ、ちょっとやり過ぎ感は否めないから、少し浮いている印象はあるのがやや難だが…
その二人とは別のアプローチを取るセラピスト、
イザベル・ユペール(「ピアニスト」「8人の女たち」)も、同様にやや逸脱した印象はある。
まあそれでも、あのいかつい顔で、アホなことやられると、思わず「トホホ」な笑いはこぼれる。
ティム・バートン版「猿の惑星」以降パッとしないマーク・ウォールバーグは、出番少なめ。
ただ、見当外れの主張を並べ立て、「そりゃ、言ってることは正しいけどさぁ」と
引く周囲から孤立し、勝手に疎外感を味わうキャラクターは、妙な説得力を醸し出す。
「ブギーナイツ」とか「ビッグ・ヒット」が好きな僕としては、
このトホホぶりは、けっこう微妙な感があるのだが、この映画の中では悪くないかな、と。
同じく出番の少ないナオミ・ワッツは、ヨゴレも引き受けての捨て身の演技がちょっと痛い。
いまさらビキニ着て、ポーズ取る歳でもない、
という指摘を逆手に取っての役柄とは思うのだが、やっぱり観ていて切ない部分がある。
ただ、これもあくまでナオミ・ワッツのファンとしての感想で、
映画そのものの中ではなかなか悪くない存在感が出せている気はする。
とまあ、ここまでは長々と、キャストの素晴らしさと、
そのキャラクターたちが演じる部分部分の面白さを讃えてきたのだが、
これが映画全体の出来につながるか、というと話はまったく別となる。
部分部分では笑える場面がかなり多いのだが、観ていると次第に退屈な気分になる。
はっきりいって、完成度はかなり低い作品だ。
ここらへん、監督・脚本を手がけたデービッド・O・ラッセルの責任は重いだろう。
ベン・スティラー主演にもかかわらず、長編第1作「アメリカの災難」は観ていないが、
ジョージ・クルーニー、ウォールバーグ出演の「スリー・キングス」が、
面白いのに、どこか散漫でツボをハズした印象だったことを考えると、今回も納得がいく。
ひとことで言うなら、独り善がり、だろうか。
あれだけのキャストが、喜々としてヘンな連中を演じているのに、
それを中途半端に気取った作品に仕上げ、手柄を独り占めしようとしている印象だ。
だから、スタイリッシュを狙った演出が、俳優たちの演技の力を減じるし、
哲学的な笑いを無理矢理にまとめていくやり方に、観る側は違和感を感じさせる。
だから、終わってみると「ハァ?」と言わざるを得ない作品に仕上がってしまう。
ヘンな連中をそのまな生かし、ストーリーとしては破綻してもいいから、
哲学的な笑いを追求していれば、違う作品になったはず… そんな思いがしてならない。
結論をいうと、かなり不満が残る作品だ。
まず第一に、当初の目的は、ジュード・ロウを観に行ったという部分が大きい。
それをまあ多めに見てしまえば、俳優たちの演技にかなり笑わされた、とも思う。
しかし、やはり観終わって一番に感じるのは、
監督のマスターベーションを無理矢理見せられたような、後味まことに悪い余韻だ。
映画を通して言いたいことは分からないでもないけど、やっぱり嫌悪感が残る。
これでことしのジュード・ロウは3連敗。
ロウだけが悪いワケじゃないんだけど、「あーあ」という気持ちで一杯になってしまった…