道頓堀は松竹角座で「奥さまは魔女」

mike-cat2005-08-28



子どものころ(といっても再放送だが)放送を楽しみにしていた、
エリザベス・モンゴメリー主演の名作テレビシリーズの映画化だ。
主演は、〝俺さま〟トムクルとお別れ後、ノリにノッてるニコール・キッドマン
共演は、「サタデー・ナイト・ライブ」出身のコメディアン、ウィル・フェレル
監督は「恋人たちの予感」(脚本)のノーラ・エフロン
ほかにもマイケル・ケインシャーリー・マクレーンの大ベテランに、
ハッカビーズ」が待ち遠しいジェイソン・シュワルツマン(「スパン」「天才マックスの世界」)。
豪華絢爛とはこのことをいう、というスタッフ&キャストが揃った。
これで期待しない方がムリなのだが、何だか向こうでの興行成績はいまふたつ…
なんでかな、と思いつつ、懐かしのテーマミュージックに惹かれ、劇場へ。


キャストの紹介で、サマンサ&ダーリンと書かなかったのにはワケがある。
この「奥さまは魔女」、オリジナル版にひとひねりを加えた設定なのだ。
最新作がコケたばかりの落ち目ハリウッド俳優ジャック・ワイアット=フェレルは、
しぶしぶ〝テレビ落ち〟を受け入れ、往年の名作シリーズ「奥さまは魔女」のリメイクに挑む。
悩みの種は、サマンサ役の女優。あの鼻ピクピクができる美女は、そういない。
ジャックはある日、カフェで出会った美女イザベル・ビグロー=キッドマンに目を付ける。
しかし、魔女のサマンサとして出演契約を取りつけたイザベルは、実は本当に魔女だったのです…


名匠ガス・ヴァン・サントが「サイコ」を忠実に再現しながら、大失敗したように、
単純にリメイクしただけでは、往年のファンも絶対に支持しない、というのはもう常識。
どこに力点を置き、どこに変化をつけ、その上でオリジナルの理念を失わない。
リメイクでおもしろい作品を作るのは、新作シリーズを立ち上げるより、むしろ難しい。
もちろん、公開2、3週の興行収入とDVD化で、最低限の出資分を確保するにはいい手段だから、
こうして凝りもせずにどんどんリメイク(及び続編)は作られ続けているのではあるけど。
それはともかく、この「奥さまは魔女」のひねりは、なかなか悪くない。


キッドマンは、40を前にしたヒトとは思えないキュートさでイザベル役を好演。
典型的なハウスワイフだったモンゴメリーのサマンサとは一線を画しながらも、
オリジナル版の魅力を存分に伝えていたんじゃないかと思う。
フェレル演じるジャックは本当は優しいオトコなのに、嫌みったらしいハリウッド俳優を気取ってしまう。
セルフパロディだか、もしくは〝誰かさん〟を想定したパロディだか、
微妙なセンながら、ショウビズ界の内幕をネタに、笑いを取る。
女ったらしで口うるさい、イザベルの父ナイジェルには、ケインを配した。
神出鬼没の登場シーンでは、
「本当にオスカー俳優か?」と思わせるほど、ベタな笑いを取りに来るが、これが映画で1番のヒット。
オリジナル版ではけっこう大きな役だった、あのダーリンをいじめるサマンサ母、エンドラにはマクレーン。
つまり、映画内の現実のイザベル母ではなく、ドラマ版の母親役。
出演シーンはさほど多くないが、まあいい感じでストーリーに変化を与える。


こうしたキャストの演技や細かい演出や仕掛けについては文句がない。
あの気持ちよくヌルい感じの、ホームコメディ的なジョークだけでなく、
適当に毒の効いたギャグも織り交ぜられ、終始クスクスと笑いを立てながら、観ることができる。
ヘンなおまじないを必ず失敗するクララおばさんや、
毎度まいど鏡を割って登場するアーサーおじさんも、ファンにはうれしいところだ。


だが、なのだ。
そうした部分部分は、かなりイケているのに、映画全体で観ると、どこか退屈な感が否めない。
肝心のロマンスも、キュンとくることがないから、面白かったけど、どこか消化不良に終わる。
映画の中で、往年のテレビドラマをリメイクすることに対し、
トークショーで「観客のノスタルジーにばかり頼った安易な手法だ」という批判が浴びせかけられる、という
セルフパロディが展開されるのだけれども、その効かせたつもりの毒が、
実は自分に降りかかってくる、という冴えないオチになってしまっているのだ。


「何が、どうして?」と思い直すと、
やはり一番の失敗は、ジャックのキャラクター設定にあるのだろうと思う。
本当はいいヒト、でも再起を目指すハリウッド俳優だから、思い上がった行動に…
ということなんだが、本当にいい人はそんなことしないだろう。
シュワルツマン演じるマネジャー、リッチーにそそのかされて、という言い訳はあるが、やはり腑に落ちない。
いや、別にイヤなヤツならイヤなヤツでいいのだが、
そうなると、そんなやつにイザベルが恋する、というあたりがどうにも不自然になってしまうのだ。


イザベルのキャラクターもキュートはキュートなんだが、いろいろと詰め込みすぎ。
普通になりたい。けど、ついつい魔法を使っちゃう、という自己矛盾は、オリジナル版からの大事なポイント。
ここを大事にしつつ、どう新味を出すか、というところなんだろうけど、
不器用なジャックに必要とされたい、という恋心と、
魔法に頼らず自分で身を立てて生活したい自立心を前面に押し出す当たりで、どこか無理が出る。
どちらも好感の持てる部分ではあるのだが、
詰め込みすぎでそれぞれの書き込みが足りないから、結局何がしたかったの?ということになる。
魔法を捨て、普通になりたい、という本筋のジレンマすら、さほど強く感じられないのだ
そして、こちらもジャックのトコとの裏返しで、相手がジャックである必然性がどうにも感じられない。
「愛してくれれば、必要としてくれれば、それでいい」が、本当の愛ですか、という問題になる。
それこそ、ジャックが本当の愛に気づくシーンとか、
うまく作っていれば最高にキュンとなるはずなのに、
どこか白けた感じでしか観ることができない。
「というか、そのシーンはどこがどうして、こうなってるの?」と、
むしろ混乱をきたすぐらいだ。


オリジナル版への郷愁、キャストの魅力、設定のおもしろさ、気の利いたギミック…
これだけ揃っても、いい映画にならない。
何が足りないのか、と考えるとよく練られたドラマ、が欠落しているのだ。
リメイクする意味があったのか、って訊かれたら、ない、とはいえないけど、かなり悩む。
思えば、ノーラ・エフロンって、脚本を担当した「恋人たちの予感」こそ最高だったけど、
監督作品で本当によかったのって、「ディス・イズ・マイ・ライフ」ぐらい。
代表作とされる「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」「マイケル」は、
設定こそそそるものの実際観てみると、詰めが甘い、という作品ばかりだった。
果たして、監督としての才能がいまいちなのか、今回の脚本が甘かったのか…
繰り返しになるが、部分部分が面白かっただけに、釈然としないものが残るのだった。