梅田・OS劇場で「ハービー/機械じかけのキューピッド」

mike-cat2005-08-08



この劇場来るのって、10年ぶりぐらいかも…
たぶん、クリスチャン・スレーターケヴィン・ベーコンの「告発」以来。
当時は、スクリーンがけっこうきつめの曲面だった気がする。
にも関わらず、何だか画像のフォーカスが合ってない、という困った劇場だった。
いまはある程度改装はされたみたいだけど、やっぱり場末感漂いまくり…
200円でフリードリンクってサービスがあるんだが、
それ、映画の最中に何度もつぎ足しに行くのかい?


で、気を取り直して「ハービー」だ。
落ち目のレーサーと、意志を持ったフォルクスワーゲン・ビートル、ハービーの交流を描いた、
1969年製作の「ラブ・バッグ」シリーズの続編になる。
といったって、このシリーズの一作たりとも観たことはないのだが。
でも、冒頭でおおむねのシリーズの内容は説明される。
数々のレースで勝利を飾ったかつてのハービーの栄光、そして凋落…
スクラップ施設に放置されたハービーと、かつてレーサーを志しながら、
事故をきっかけにレースをあきらめた少女・マギー=リンジー・ローハンの出逢い。
レーサー一家に生まれながら、レースを禁じられたマギーは、
独特の乗り心地に戸惑いつつも、次第にハービーとこころを通わせていく。
NASCAR(アメリカで人気のストックカーレース)のトップスター、
トリップ=マット・ディロンとの草レースをきっかけに、
マギーはふたたびレースの世界に足を踏み入れるのだった。


もうおわかりの通り、
クルマが意志を持つ、という部分以外、何のひねりもないような、普遍的なお話だ。
まあ、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが作る、
ティーンムービーとファミリー映画の真ん中なのだから、当たり前といえば、当たり前。
たぶん、この映画の観客層的には、
リンジー・ローハンのおっぱい(巨乳)と、NASCARのスターたちのカメオ出演が目当てになる。
だから、特別凝ったストーリーは必要ないし、僕だって、凝った話は全然期待してない。
望むことは、普遍的なストーリーをていねいに作って、
とってもストレートで、ウェルメイドなファンタジーを作って欲しい、ただ、それだけだ。
リンジー・ローハンは、
母娘の魂入れ替わりを描いたドタバタ・コメディ「フォーチュン・クッキー」がけっこう好きだったし、
また、いい感じで〝安易だけど、クスクス笑って、思わず涙も…〟映画になると期待してた。


してたんだが、どうにもこの映画は、いけませんな。
ビーチ・ボーイズの「ゲッチャ・バック」で始まる、オープニングからの雰囲気は悪くない。
多少、説明不足を感じつつも、レースへの想いを捨てきれないマギーの描写もまずまず。
マット・ディロンがこんな役ばっかりやってることへの複雑な思いはさておいて、
そのディロン演じるライバルレーサー、トリップのチンケな悪役ぶりも、なかなかだ。
しかし、そうした好ましい要素をつなぎ合わせる、脚本と演出がどうにもいけない。
マギーが戸惑いながらも、ふたたびスピード(クスリじゃなく)に身を委ねるあたりや、
ハービーとの思わぬ仲違いに発展する出来ごと、そして、ハービーが陥った危機…
ここらへんがどうにも雑な描写なもので、
かなりユルい基準で観ているはずの僕ですら、登場人物に感情移入することができない。


また、マギーにレースを禁じた父=マイケル・キートンや、
才能のない兄=ブレッキン・メイヤーの扱いも、映画に中途半端な印象を与える。
どちらも一応主演級だし、あのキートンの存在感を考えると、
もっと限定したシーンで効果的に使うか、もしくはもっと大きな役にしてしまうか。
この作品では親娘ドラマの部分もあるのだが、
とてもおざなりに描いているので、何だかよくわからないままストーリーが進行する。
ちなみに同級生の整備工ケヴィン、というのもいるんだが、これもまた中途半端な扱いで、
演じるジャスティン・ロング(「ジーパーズ・クリーパーズ」)があんまり活きてこない。


肝心かなめのレース場面にしたって、
ピンチを克服していく部分の描写が、どうにもうまくない。
マンガチックなレースぶりは承知の上だが、それにしてもダメだ。
「そこでそういうレースぶりができるなら、何で…」みたいな違和感がつねに漂う。
意志を持つクルマ、という時点で全然リアルもなにもないのだが、
その設定の中でできるだけリアルに、緊迫感のあるレースを演出できなかったのかな、と。


そんなわけで、期待の裏返しというか何というか、とても残念な映画に終わってしまった。
観終わって、頭の中に残るのは必要以上に多い、リンジー・ローハンのバストのアップ。
その後の減胸手術だの、ダイエットで激やせだのの情報も頭にあってか、
何とも複雑な想いばかりが残ったのだった。