戸梶圭太「東京ライオット」

mike-cat2005-07-21



そういえば、読んだことのない作家だった。
どこで読んだのだったか、失念したが、こう紹介されていた。
バカを描かせたら、右に出るものがいない作家。
人間、どこか他人より秀でるところがあるのは、いいことだ。


オビが笑えた。
〝日本カースト戦争勃発!
 愛する者を守れ! 暴徒(バカ)が襲ってくる!
 東京下町に完成した超高級マンション。ハイソ入居者と地元住民の一触即発的危機。
 不満と鬱屈のなか負け犬がライオット(暴徒)へと変貌する!〟
バカが襲ってくるのか…、現実的にはともかく、小説的には面白そうだ。


ただ、指摘したいトコ、2点。
もちろん、作者の責任ではないと思うのだが、
カーストはあくまで〝階級制度〟であって、この小説で取り上げている、
貧富の差や社会的ステイタスによる社会の分化は、〝社会階層〟じゃないか、と。
まあ、カーストの方が刺激的に感じるから、それはそれでいいんだけど。
あと、ライオット=Riotは、「暴動、もしくは騒動」で、暴徒はRioterじゃないか、と。
これもまあ、細かいこと言っても仕方ないかもしれないけど、
昔、〝髪は長〜い友達〝というCMのフレーズで、
間違って漢字を覚えてしまった僕としては、看過できない部分があったので一応、ね。


舞台は200×年、東京の下町、足立区は綾瀬。
スラム化し、凶悪事件も多発するこの土地に、高級マンションが建設された。
治安の悪化を考慮し、コンセプトは〝安全〟。
地元住民との軋轢を考慮しないどころか、反対運動まで完全に無視し、
要塞のように建てられたマンション「ソナーレ」。
住民以外立ち入り禁止の敷地内には、コンビニ、スタバに美容院まで併設された、
〝差別的マンション〟の奔放な住民と、周囲のスラム住民の間の緊張感は高まっていく。


近未来を予言した小説、というか、
誰もが想定し、恐れている未来を、ある意味最悪の形で描きあげた作品だ。
タワーマンションで、「タワー族」という言葉もできているきょうこの頃、
いかがお過ごしなんだろうか、地元の人たちは、という感じなのだが、
読んでいると、2020年ぐらいの日本を予備体験しているみたいで、非常に怖い。
もちろん、そんな治安の悪いところに、
高級マンションを建設する時点で、もう間違いというか、当然の失敗なので、
実際自分がそういうマンションを買わなければ(買えないけど)いい、という部分はある。


だから、もしこんなトコの高級マンションに住むことになったら、というあくまで仮定の話。
綾瀬のヒトたちから、一撃で訴えられそうな舞台設定なのだが、
そこらへんは僕の関与する問題じゃないので、とりあえず置いておく。
だが、あくまで物語のポイントは、この綾瀬の〝ヒトの質〟にある。
戸梶圭太が〝バカを描かせたら〜〟という話は最初に書いたが、
このスラム住民が、バカという言葉を使うのも〝バカに失礼〟というくらい、レベルが低い。
よくケダモノ以下、という言い回しがあるが、それすら「ケダモノに謝れ」と言いたくなるくらい。
虫と同じレベルに低能で、一時的な衝動と目先の欲望だけで、動く。
治安レベルはともかく、その住民の民度たるや、
たぶん、地球上のどのスラムと比べても遜色ないレベル、だろう。
いや、やっぱり綾瀬のヒトたち、怒った方がいいよ。
作り話とわかっていても、綾瀬のイメージダウンになってしまう。


こういうお話の場合、
鼻持ちならない「タワー族」の横暴に、地道に暮らしてきた地元住民の怒りが爆発する、
というのが、〝エセ平等社会〟日本における、正しいカタルシスへの導き、となるはずだが、
そんなインチキ・ヒューマニズムに左右されないトコが、
この戸梶圭太の、戸梶圭太たる由縁だったりするのだろう。
「タワー族」もバカはバカで、完全に感情移入するのは難しいのだが、
このスラム族は、あまりにも問題外過ぎるのだ。
老若男女を問わず、その行動・思考のレベルは、もう嫌悪感を通り越して低い。
暴力描写も、かなり激しいのだが、その偏差値たるや、これまた限りなく低い。
レイプ描写がないだけ、まだましなのだが、
読んでいて「もう、読むのやめようかな…」と思ったこと数回。
でも、ストーリー自体の持つパワーと、絶妙のテンポに引き込まれ、
結局ほとんど一気で読んでしまったのだから、僕のモラル的なレベルもどうなんだろ、と思ったりも…


話をちょいと戻すと、この小説は、
「世の中にはどうしようもないヒトが、確実に存在する」という徹底したリアリズムで、
日本人の甘っちょろい〝平等幻想〟を打ち砕く、ある意味画期的な作品でもある。
人種的、社会階層的な差別はもちろん、許せないことだし、
基本的にヒトはみな平等、という部分は、僕も100%同意する。
だが、治安の悪い国に行ったら、必ず気をつけることもある。
平等という概念と、スラムに無警戒に足を踏み入れる、という行為はまったく別、ということだ。
出身階層が必ずしもそれを決定づけるわけではないが、
多少高い確率において、そのヒトのモラルレベルを決定づける可能性が高いことは、否定できない。
もちろん、ここでいうモラル、っていうのは、エリート階層的なモラルハザードではなく、
あくまで、暴力などを含めた、より直接的な犯罪とかに限定されるんだけど。


また話が長くなったんだけど、この小説は、
そうしたイヤな部分をイヤな部分として、直視し、その上で恐怖感を煽る。
襲ってくる暴徒は、まさに「ドーン・オブ・ザ・デッド」のゾンビたちと同じ。
どうもこの作者の好みか知らないが、やたらとウ×コとゲ×まみれな分、
よほどゾンビの方がましなような気すらしてくる。いや、あくまで気分、だけど。
「タワー族」も含めた、しょうもない人たちの描写は、すんごい笑えるトコもあるけど、
設定がリアルな分、どこまで笑っていいのかのボーダーラインが非常に微妙。
「何じゃ、こりゃ」的な笑いと、「笑ってられないな…」的な空恐ろしさが表裏一体となってる。


率直な感想としては、
かなりの高水準で、この物語世界を堪能はできたと思う。
考えさせられる、というか何というか、刺激を受ける部分も多かったし、
たぶん、論議を呼ぶ部分もたくさんあるのだろうな、と思う。
でも、もっと単純にバカな小説が読みたかったな、という気持ちは否定できない。
とりあえず、この作者のほかの著作を読んでみることにしたい。
戸梶圭太、という作家が肌に合うのか、合わないのか。
それを決めるのに、この作品は適していないはず。
そう、信じることがいま選べる最高の選択肢じゃないか、と思うことにする。