ロバート・カーソン「シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち」
平たくいうと、本のタイトル通りそのまんま。
ニュージャージー沖の海底で発見された、二時大戦中のUボートの残骸。
戦史をひもといても、なぜか記録にないこのUボートは、
どこから来たのか、そしてなぜこの海底に沈んだのか。その謎に挑んだ、
ディープレック(深海沈没船探索)・ダイバーたちの苦闘のノンフィクションだ。
だが、ノンフィクションといっても、独特の硬さはない。
事実だけの描写に過ぎないが、もうアドベンチャードラマそのものの〝物語〟が、そこにある。
そして、その物語は、伝説のレック・ダイバーで、ダイビング・ボート「シーカー」のオーナー、
ビル・ネイグルが、ある漁師から秘密の座標を手に入れる場面から始まる。
そして伝説を受け継ぐダイバー、ジョン・チャタトンが、
命の危険も顧みず、60メートルを越える水深に挑む。
遅々として解けないUボートの謎に、チャタトンらは次第にのめり込んでいく。
このディープレック・ダイバーというのが、とんでもない危険に挑む連中だ。
あの「タイタニック」で、ビル・パクストンが演じていた探索船船長のお仕事を、
潜水艇とかなしで、生身(といっても、レギュレーターとかタンクはつけるが)でやる。
同じジェームズ・キャメロン作品の名作(といっても、完全版に限るが)に、
「アビス」というのがあったが、ビジュアル的にはあちらの方が近いかも。
トレジャーハンターよろしく、お宝も目的のひとつとなりえるが、ネイグルやチャタトンの狙いは別だ。
〝モディリアニの描いた顔を思わせる損壊した船の様相に物語を見た。
国民の期待、あるいは船長の死にぎわの直感、あるいは子どもの夢が凍りついた一瞬を。
そして、もっとも重みを持った瞬間に存在した生命と肩を並べて、
博物館員や解説者や歴史研究家などの手垢のついていない現場を体験する。〟
そう、調査そのものが、探検の目的でもあった。
しかし、危険はいわゆるスキューバ・ダイビングなどとは比較にならない。
一般的に、「ディープ」といわれる水深は18メートル以上。
だが、チャタトンたちのUボートが沈むのは、60メートルだ。
だだ単純に潜るだけでも、正常な判断力を失わせる窒素酔い、
そして時には命を奪う減圧症の恐怖と戦わなければならない。
それが、破損し、沈没した潜水艦となれば、危険は限りなく増大する。
〝まともな状態〟でも、潜水艦は狭く、迷路のように入り組んでいる。
それが海に沈み、横倒しになり、鉄骨はねじ曲げられたのだ。
さらに、さびと沈殿した泥がかきまわされることによって、視界を遮られる。
「死にに行くようなもの」と評されてもしかたのない、極限のリスクだ。
印象的な描写がいくつかあるのだが、ちょっと引用する。
〝ダイバーとしてこのスポーツをある程度の期間つづければ、
自分が死にそうになるか、他人が死ぬのを見るか、
自分が死ぬかのどれかを体験することになるだろう。
そして、その三つのうちのどの結果が最悪か、一概にいえないことが多い〟
〝それは人間のもっとも基本的な本能−
息をすること、見ること、危険から遠ざかること−に反するもの〟
「そこに、山があるから」ならともかく、
「そこに、船が沈んでいるから」だけで臨むには、あまりに大きな危険。
その危険は、潜んでいる、どころの騒ぎじゃない。常に付き添っている状態だ。
それでも、チャタトンたちは挑んだのだ。時には、大きな犠牲を払いながら。
その〝物語〟は、
チャタトンや、途中から登場するダイバー仲間のコーラーの少年時代、
歴史的なダイビングに挑んでいた当時の家庭環境まで含め、多層的に描かれる。
もちろん、次第に謎が明らかになっていく「謎のUボート」の乗組員たちのドラマも、だ。
歴史調査、そして発見そのもののドラマも、きっちりと描かれている。
ドキュメンタリーに独特の、硬さもなく、
そのまま、映像化すれば140分ぐらいの大作映画にできそうな、カタルシスも十分だ。
傑作、という言葉を、何のためらいもなく使うことができる、珠玉のノンフィクションだ。
ただ、読み終えても「深海に潜りたい」とは、まったく思わない。
暗所恐怖症でも、閉所恐怖症でもないが、
読んでいるだけで息が詰まるような体験を、実際にしたいなどとは、とてもとても…
僕にできることはただ、このディープレック・ダイバーたちに、称賛を贈ることぐらい。
そして、ただただその真実のドラマに、感嘆することなのだ。