池永陽「コンビニ・ララバイ (集英社文庫)」

mike-cat2005-06-21



本の雑誌」が選ぶ2002年度上半期ベスト1、待望の文庫化だ。
僕自身、書店で何度か手に取っては、
「そろそろ文庫になりそうだしな」と棚に戻し続けていた。
ハードカバーで買いもしないで、なんなんだが、期待はしていた。
ベタそうだけど、泣かせてくれるんだろうな…、と。


いま読み終えたばかりなんだが、「何だよぉ」って感じだ。
期待してたのに。ああ、それもう書いたっけ。
確かに、こころの琴線に触れる部分もあった。それは認める。
だけど、泣けない。
だって、「えーっ、そんなのおっかしくない?」という違和感が、
それを大きくオーバーテイクしちゃってるのだ。
ぶっちぎり。夜明けまで走り続けちゃうよ、というくらい。
感動を素直に受け取るわけにはいかない、強い違和感だ。
人によっては、目をつぶることもできるんだろうが、僕はダメだった。


舞台は、練馬あたりの青梅街道沿いに立つ個人経営のコンビニ。
息子と妻をたてつづけに交通事故で失った経営者の幹郎や、
勝ち気で、きまじめで、バツイチの、パート店員の治子、
そしてそこに集う客たちの姿を描いた、連作短編集だ。
テイストとしては、オビにある通り。
〝終夜営業はしない。商売っ気もない。
 だけど、ここにはやさしさがある−。〟


しかし、舞台設定を聞くとグッとくるんだが、実際読むとグッとこない。
そこで前述の〝違和感〟の話になる。
幹郎や治子、そして登場人物たちが様々な場面で、
〝やさしさ〟に出会うことで、物語は展開していくわけだが、
この〝やさしさ〟の定義が、どうにも曖昧に感じる。
〝表面的な優しさ〟もしくは〝易しさ〟にしか感じない部分が多いのだ。


もっとも印象的な例を挙げるなら、ホームレスが出てくる場面がある。
ちょっと話が横道にそれるが、だいたい、この〝ホームレス〟という言葉も不快だ。
「住居を持たない」という狭義のホームレスならともかく、
昔でいう〝乞食〟も含めて、広義に使うのには、非常に憤りを感じる。
何となく「社会的弱者ですよ」っぽい、言い回し。
これこそ、本質をごまかす、問題先送り的な言い換えに過ぎない。
税金も払わず、公共の土地・施設を不正に占有し、
まっとうな市民に嫌悪感・不安感を撒き散らす、社会的害悪だ。
「それぞれ事情があるんだよ」という意見もある。
だが、事情があっても、ほとんどのヒトはちゃんと生活してる。
世の中に拗ねて、社会に背を向けていながら、
社会の片隅どころか、街の中心の一等地で、
社会のおこぼれに預かって生きる彼らのどこが〝社会的弱者〟なのか?
彼らこそ、究極のエゴイストじゃないか、と思うんだが、
あんまり書いていると止まらなくなるので、このくらいにしとく。


まあ、そんなわけで、ホームレスは弱者なんかじゃない、と言いたいんだが、
そのホームレスに対し、
幹郎はロストとなる弁当を分け与えるなど〝やさしく〟接する。
しかし、それってホントに優しいんですか? と思うわけだ。
たとえば、ロストの弁当は捨てるものだけど、
時間が来ればもらえる、という前提があればこそ、
ホームレスは働きもしないで待っているわけで、
そのロスト分の経費っていうのも、
店全体で売っている商品の価格に加算されているわけで、
まっとうな客の立場からしてみれば、裏切りでしかないのだ。
この店が〝個人経営の店〟だから、店主の勝手ではあるが、
こういう店から〝不当な価格〟で、ものを買わないのも消費者の権利だ。


「まだ食べられるものを捨てるなんて…」という議論もあるだろう。
だが、ロストを見込んで購買を控える、
もしくは食べるための労働をサボるような人間に迎合するのと、
食べ物をムダにしない、というのはまったく別だと思う。
いわゆるおすそ分けというなら、
あくまでも偶然余った、というところが原点にあるはずだ。


だから、この幹郎の〝やさしさ〟は、
エゴイズムに対する迎合でもあるし、あくまで安易な偽善にしか思えない。
もちろん、やりたきゃやれば、という部分もあるけど、
野良猫にエサをやるのと一緒。
「エサをやるから増えるんだ」という意見に、どう反論できるのか?
それも野良猫なら、好きで野良猫になって飢えているワケじゃない。
野良猫に生まれたのだ。野良猫だって、生きていかなければいけないのだ。
好きでホームレスやってるやつには、一分の理だって僕は認めない。
だから、そういうホームレスに安易に〝やさしく〟する人物は、
たとえ小説といえども、基本的に信用したくない。
だから、そういう幹郎のほかの〝やさしさ〟にも思わず鼻白む。
長くなったが、それがこの連作集そのものに感じる〝違和感だ〟。


ほかにも、
夜逃げに際して商品をだまし取っていった女、
ストレスを紛らわすためオヤジ狩りする受験生、
再婚話に夢中になり、幼い子供を放置する母親…
幹郎はどんな人間にも〝やさしい〟。
確かに、社会にはどこかで受け皿がないと、
歯止めのきかなくなる連中がいることも確かなんだが、
本質的な問題解決にまで手を貸さなければ、あくまで偽善だ。


この幹郎の関わりって、
あくまで〝その場限りプラスアルファ〟くらいだから、問題解決にならない。
あえて厳しくいうなら、問題を目の前からどかしただけ。
自分の街から暴力団事務所を追い出せばそれでいい、みたいな感じだ。
だから、こころの琴線に触れるような場面になりかけても、
もう一歩踏み込んだ解決とか、解決ならずとも働きかけがないから、
「こいつ、いい人ぶりたいだけじゃん」となり、感動の波はスッと引くのだ。


あんまり悪口ばっかり書いてもしかたがないんで、あと一つだけ。
廃品回収をするホームレス風の老人と、犬のエピソードがある。
僕は、犬が出てくるだけで、かなり涙腺付近の湿度が上がる。
だから、この老いた雑種犬の、飼い主に対する愛情の描写だけで、
もう嗚咽が漏れそうになってしまう。
もちろん、ろくでもない待遇で、犬の健康もロクに気遣わない
(別に甘やかせ、とはいってない)飼い主への怒りもあるが、
それを超越しても、犬の側からの愛が意地らしく、尊いからだ。


だが、それはある瞬間、沸点を超えた怒りにスイッチする。
老いた犬が体調を崩し、寝たきりになっていく場面だ。
やることは、大好きな焼きそばを買ってやることだけ。
いや、本当にもう間に合わない時はそれもアリ、だろう。
だが、僕の怒りはそれ以前にある。
そうなる前に、何でちゃんとしてやらない、というトコだ。
もし、目の前にこのオヤジがいたら、どこかの金貸しよろしく、怒鳴りつける。
「体調を崩し始めた時点で、ちゃんと働いて病院に連れて行け。
 カネがない?
 おまえのこころの友なら、血を売ってでも、腎臓売ってでもカネを作れ!!」


そうか、老人だったな。腎臓売れないか。ううむ…
まあ、実際に腎臓を売る、売らないはともかく、
そのくらいのレベルでいかんともし難く、犬を見送るしかないならともかく、
とても安易に犬が苦しむままに、〝見てるだけ〟レベルなのだ。
泣けますか? 僕は泣けない。
それどころか、作り話に過ぎないのに、胃が痛くなるくらい、憤りを感じた。
何で、〝泣ける小説〟と思って読んだのに、胃痛を覚えなきゃならんのだ。


とまあ、そんなわけで一人で怒りまくってた部分が長くなったが、
つくづく、こういうオーソドックスな〝泣かせ〟小説って難しいと思う。
これで泣けるヒトも確かにいるのだろうと思う。
だって、けっこう極私的ランキングともいえる「本の雑誌」のにしたって、
上半期ベスト1になるくらいだから、普遍的要素もあるのだと思う。
実際、このランキングの出た号も読んでいるが、
べた褒めしているのは北上次郎だけじゃなかったと思う。


しかし、こういうベタな〝泣かせ〟という規定演技だからこそ、
細かい価値観であるとか、細かい描写に徹底的に気遣って欲しい、と僕は思う。
それはベッタベタなハリウッド映画のラブロマンスでも同じだが、
「ディテイルにこそ、神は宿る」のだ。ベタな設定なら、なおのこと。
その点、浅田次郎って本当にすごいな、と思う。
たとえば「天国までの百マイル (朝日文庫)」、
たとえば「鉄道員(ぽっぽや) (集英社文庫)」の表題作「鉄道員(ぽっぽや)」や「ラブ・レター」…
強烈な発酵臭が漂ってきそうなほど、ベッタベタにクサい〝泣かせ〟だ。
だが、その〝泣かせ〟に向けて、徹底的に計算し尽くされたディテイル描写が、
その強烈な発酵臭すら、唯一無二のかぐわしい香りに変えるのだ。
ちなみに、僕はこれらを読んでいる時、電車内でかなり危険な状態になった。
未読の方には、公衆の面前で読むことは、とてもお勧めできない。


また、話が横道にそれまくったんだが、
別にすべての小説がそのレベルに達してなければいけない、とは言わない。
みんなが、浅田次郎じゃ困りますがな。
だが、この作品に限って言えば、
この作者の意図した〝クサさ〟は、僕には的外れな腐臭にしか感じられなかった。
それは、この作者のもともとの価値観が僕と相容れないだけでなく、
こうしたベッタベタな〝規定演技的泣かせ〟を描くには、少々稚拙だったから、と思う。


決して、ヘタじゃないと思うし、けっこう読ませる作品だと思うけど、ダメ。
「けっこう食わせるよ」と聞いて、行った中華料理屋で、
チャーハン作らせたらベチャベチャだった、みたいな。
それ「美味しんぼ」でありましたな、と、
とりあえず、まずは自分で突っ込むが、そんな感想を覚えたのだった。


以上、何だかフラストレーションのはけ口となってしまったようなきょうの日記。
あんまり怒りすぎて、何に怒っていたのか忘れてしまいそうだから、
最後にもう一回書いておく。池永陽「コンビニ・ララバイ」。
決してつまんなかったわけじゃないんだけどね。
と、フォローにならないフォローで締めくくる。ああ、疲れた…