千日前国際劇場で「ミリオンダラー・ベイビー」

mike-cat2005-06-13



満を持して、だ。
朝起きてとても元気だっただけだが、ずっとこういう日を待っていた。
こういう重厚で、内容的にもヘビィそうな映画は、
万全の体調で観ないと、集中して細部まで観られないし、
第一、終わった後に打ちのめされてしまって、回復できなくなる。
映画はやっぱり、最初に観る時がとても大事だ。
何度観てもいい映画ってのもあるけど、一番最初のスペシャル感は格別。
だから、チャンスを窺ってきたのだ。


準備をさらに万端にするため、
F.X.トゥール「テン・カウント (ハヤカワ・ノヴェルズ)」に収録されている原作、
ミリオンダラー・ベイビー」を再読してから、劇場に出向く。
ちなみにもう「ミリオンダラー・ベイビー (ハヤカワ文庫NV)」に改題されて文庫化されてる。
読んだ当時のブログはこちら↓
http://d.hatena.ne.jp/mike-cat/20040821#p2
その時は、特別大きな感慨はなかったようだ。
短編そのものは、切なさとほろ苦さが残る佳作。
これにいくつかの要素とキャラクターを加えたモノが、
ことしのアカデミー賞で主要部門賞を独占した、この映画となる。


で、映画の出来。なるほど、傑作だ。
ある種の凄みすら感じさせる一本。
アカデミーは独占するわ、そこら中で絶賛されるわ、だったもので、
ちょっと意地悪めな視点も、意識していたつもりが、
気づいたら、映画の世界にのめり込んでいた。
実際喰らったこともないのに何だが、強烈なボディブローをもらった感触だ。
原作小説のオビにあった「ソニー・リストン級」の謳い文句は、
こちらの映画にぴったりな言い回しだと思う。
いや、一般受けしないのは承知の上だが、とりあえず…。


フランキー=クリント・イーストウッドは、ロサンゼルスのダウンタウンで、
さえないボクシング・ジムを営む老トレーナー。ボクサー育成の腕は確か。
だが、慎重過ぎるマネジメントが災いし、成功を焦るボクサーは彼の下を去っていく。
雑用係を務めるスクラップ−アイアン=モーガン・フリーマンとは、数十年来のつきあい。
元ボクサーで、最後の試合で片目を失った過去を持つ。
そんなフランキーのジムにある日、女性ボクサーのマギー=ヒラリー・スワンクが訪れる。
31歳という年齢、そして何よりも〝女性ボクサーは取らない〟という方針を伝え、
追い返したフランキーだが、マギーはあきらめる様子もなく、ジムへ通う。
マギーの才能を見抜いたスクラップの助言で、
マギーの〝弟子入り〟を許したフランキーはその手腕を生かし、
マギーを〝ミリオンダラー・ベイビー(100万ドル稼ぐ女)〟にあと一歩まで育て上げるが…。


この映画のすごいところを挙げていったらキリがないが、
まず、マギーのキャラクター描写が絶妙だ。
ミズーリ出身。出身階層も典型的なホワイトトラッシュ。
前回「ボーイズ・ドント・クライ」でもアカデミー主演女優賞を獲った、
お得意の役柄だが、やはり巧い。巧すぎて、序盤から胸が詰まる。
愛する父を早くに亡くし、13歳からウェイトレスで生計を立てる。
母親は、娘のプレゼントに対し、「無駄遣いせず、カネをよこせ」とがなるクズ。
生活保護を不正受給する妹には、犯罪者の夫というおまけつき。
すべての生活費を切り詰め、ボクシングにつぎ込む。
まさに、ボクシングだけが人生のすべてなのだ。
そんな彼女だからこそ、最後に迫られる〝ある選択〟に絶対的な重みが生じる。


そんなマギーが、父を失った娘なら、フランキーは娘を失った父だ。
事情は明らかにされないが、娘のケイティとは絶縁状態となっている。
そんなマギーとフランキーが出逢い、ボクシングという濃い世界で、頂点を目指す。
父娘の絆のドラマが、そこには展開する。
例の横×さ×らとかとは一線を画する、深遠で、複雑なドラマだ。
フランキーにとっても、マギーの〝ある選択〟は、
ボクシングそのものを含む、長い人生のすべてを左右する選択となる。


スクラップ−アイアンだって、負けてはいない。
スクラップーアイアンが世界を目指すボクサー、
フランキーがカットマン(試合中の傷口処理係)だった時代のエピソードが、
現在のフランキーを形成する、重要な要素となる。
スクラップ−アイアンの、フランキーを見守る目も限りなく温かい。
モーガン・フリーマンならではの重厚な演技が、ひとつ間違えば、
単なるご都合キャラクターになりかねない役柄に、説得力を与えている。


ひとつひとつのエピソードを見ても、
ボクシングを通じて人生を描く部分と、ボクシングそのものを描く部分が、
それぞれ確かな視点で描かれ、観客に強く訴えかける。
さまざまな優れた素材を、見事にひとつの物語に紡ぎ上げた、
イーストウッドの演出手腕もつくづくすごいモノだな、と感心するばかりだ。


脚色賞でノミネートされたポール・ハギスが果たした役割も、大きいと思う。
原作ではやや希薄だった、フランキーの娘に関する描写や、
元ボクサーでフランキーの盟友となる、スクラップ−アイアンを加え、
原作のフランキーのキャラクターを、うまい具合に2分割、
さらにフランキーとスクラップの友情(ちょっと親密過ぎるが…)で、
比較的ストレートで骨っぽいドラマに、豊穣なコクをもたらした。
また、フランキーのキャラクターにもひと味加え、
マギーとの絆をより一層力強く彩った。(レモンパイのエピソードは秀逸)
そして、素質の欠片もないボクサー、デンジャーも挿入し、
哀切とやるせなさが味わいのほろ苦いドラマに、一縷の希望という甘みを加えた。
絶妙の、膨らませ方だと思う。名シェフの業、といったところか。


このハギス、70年代からTVシリーズの脚本などで活躍していた人のようだ。
映画は、監督と脚本を兼ねた、サンドラ・ブロックドン・チードルのクライム・ムービー
「クラッシュ」(クローネンバーグの異常性欲映画とは別。あれはあれで傑作だが)がお初。
日本未公開だが、こちらも、だいぶ評価は高い。↓
http://www.rottentomatoes.com/m/crash/
IMDBとかで調べると、次回作もめじろ押しの様子。楽しみな脚本家のようだ


とまあ、興奮が醒めないせいか、気づくとやたらと色んなことを書きまくってる。
それでも、まだまだこの映画の魅力を語り尽くせていない気がする。
もちろん、ネタバレしないように気を遣ったのもあるんだが、
それ以上に、この映画の持つ味わいは、
噛みしめれば噛みしめた分だけ、尽きることなくわき出してくるのだ。


感動の涙、という言葉は、微妙にふさわしくない。
涙はとめどなく流れるが、最初にも書いた通り、後味はむしろ苦味が強い。
その苦味もあってこそ、人生の味わいがある、とも言えるけど。
これも最初に書いた通り、爽快感とか、カタルシスを求めて、
軽い気持ちで観に行くことは、とてもじゃないが、お勧めできない。
観に行く時は、打ちのめされない程度に元気で、
少し落ち込んでも大丈夫なタイミングで、をぜひにお勧めしたい。


でも、必見ではあると思う。
生涯のベスト5には引っ掛かってこないけど、
少なくとも、ことし観た中ではベストを争う作品だと思う。
バカ映画大好きの僕が、これだけ言うんだから、けっこう間違いはない、はずだ。
ううん、最後のシメで、何だか映画を貶めてしまった気もするが、まあ、よしとしよう。