道頓堀は松竹角座で「クローサー」

mike-cat2005-05-28



ジュード・ロウジュリア・ロバーツに、
クライヴ・オーウェンナタリー・ポートマンという豪華キャストの恋愛ドラマ。
ロウ演じる、売れない作家が、
ロバーツ演じるカメラマンと、ポートマン演じるストリッパーの間をふらふら…
これにオーウェン演じる医者のオトコがからんで、4人は揺れ動く。
監督は「卒業」「ワーキング・ガール」のマイク・ニコルズだ。
クレジットにならぶ名前、そして4人の顔がならんだポスター、
もうこれだけでも必見! という雰囲気を醸し出す。
さらに、オーウェンとポートマンがアカデミー賞の助演でダブルノミニー。
「観ろ、観ろ、観るんだ! 観ないと後悔するぞ…」という圧力すら感じる。


だが、実際観てみると、「ううん、ヌルい」というのが率直な感想。
100分少々の上映時間が、やたらとつらい。
もとは大ヒットの戯曲らしいが、
たぶん戯曲の見どころでもあるだろう会話部分が、何だかとっても古くさい。
30年前、もしくはギリギリ20年前ならともかく、
いまどき、この程度の恋愛模様でドキドキさせようとは、不届き千万だ。
部分部分の会話には光るものもあるけど、
行動そのものは普通にルーズな2カップルのくっついたり、離れたり。
ウソと真実の狭間でどうこう、それで恋人同士の距離はどうこう、
みたいなメッセージはおぼろげに伝わってくるけど、どこかピントはずれだ。
「それがどうして、くっついたり、離れたりのきっかけに?」と思うような、
何となくズレた行動、言動が、ストーリーの転換点になる。


一方で、そうした行動、言動の薄っぺらさも気にかかる。
恋愛の〝業の深さ〟みたいなのが、一切伝わってこない。
気取ってみたりはするけど、上っ面の行動ばかり。
古くさい〝恋愛コード(規範)〟を、ちょっと踏み外したぐらいできゃあきゃあ言ってるだけ。
そうした〝薄っぺらさ〟を描きたいなら、それはそれで構わないけど、
それにしてはスタイリッシュさが足らない。
まあまあ、いい感じなのは冒頭のロウとポートマンの出会いの場面くらい。
BGMはダミアン・ライスの「ブロウワーズ・ドーター」。
〝Can't take my eyes off you〟と歌われる中、ふたりが視線を合わせる、
ある意味ベタなシーンではあるけど、
ふたりの間に、いい雰囲気が醸し出されていたと思う。
しかし、これは別にニコルズじゃなくても、誰でも思いつくレベル。
その後は常に微妙な雰囲気が続くのでは、それも台無しだ。
いい雰囲気に盛り上がってくると、思わせぶりなムダ場面が入る。
だから、結局はドラマの中に入っていけないのだ。


何で、こんなことになったのか…。
たぶん、監督の演出が原因なんだろう、というのが僕の意見。
マイク・ニコルズって、いつのヒト? もう終わってない?
僕の個人的な感覚としては、ここ十数年で面白かったのは、
ワーキング・ガール」(1988)「バードケージ」(1996)ぐらい。
ジャック・ニコルソンがノーメイクでも狼男っぽかった「ウルフ」とか、
ジョン・トラヴォルタのニヤついた大統領役がヘンだった「パーフェクト・カップル」とか、
もっと面白くなってもしかるべき映画が、「何だかなぁ」に終わったヒトだ。
正直に言うと、「卒業」だって、あの有名なラストはともかく、
そこにたどり着くまでは、あんまりおもしろ映画とは感じられなかった。


さらに、ちょっと耳にした事前情報。
ストリッパー役で出演するポートマンの扱いが、
おん歳73歳のニコルズのヘンな気遣いでずいぶん変わってしまったというもの。
端的に言うと、きわどいシーンがもれなくカット、というやつ。
かなりきわどい役柄なんだが、異常なほどに露出なし。
聞くところによると、ニコルズおじいちゃんは、
ポートマンお嬢ちゃんの裸をさらすのが忍びなくて、途中から大幅に露出を控えさせたらしい。
まさに何それ、という感じだ。
忍びないなら、はじめからストリッパーにキャスティングすんな…
いや、ポートマンのおっぱい見たかった、というのも正直なトコだが、
NYからロンドンに流れてきた、というストリッパーの恋愛模様を描いておいて、
必要以上に裸をシャットアウトするのは不自然でしょ?
きわどい行為(ストリップ中の各種サービス)の場面でも、オトコの顔ばかり。
ポートマン演じるアリスの心象風景を、どうやったら読み取れるのかね?


そんな部分も影響しているんだろうか。
アカデミー賞助演女優賞ノミネート、というポートマンの演技にも、あんまり感心しなかった。
人となりが、見えてこないというか、何をどうしたいのか、わからない、というのか。
幼い中にかいま見える、
ファム・ファタール、みたいな部分が出したいのなら、その妖しさが、全然不足している。
最後の方でジュード・ロウとじゃれてるシーンとか、「レオン」を思い出した。
そのころと何ら変わっていない、という感じ。
もちろん、最後のシーン、NYの街角を闊歩するポートマンは魅力的だ。
しかし、それを振り返るオッサンたちの演技がすべてを台無しにする。
単に好色なオッサンが振り返るだけの〝いいオンナ〟では、
物語を通じて、成長し、大きく変わったポートマンを描写するのには不十分では、と思う。
ジュード・ロウジュリア・ロバーツも何だか消化不良気味だし、
唯一光ったオーウェンも、相手の女性の浮気について、
問いただすシーンの粘着度があまりに過剰で、これもリアリティが伝わってこない。


こうして書き出すと、だんだん結論が見えてくる。
つまり、この脚本を、この監督で、このキャストで、いま撮ることの必然性があまりないのだ。
もっと、「ドッグヴィル」よろしく、セットもなしの会話劇に活路を見いだすか
(それだと戯曲を映画化する意味がないが)
もしくは、徹底的にスタイルを追求して、おしゃれな恋愛模様、みたいに撮るか、
もっと演技派俳優だけで固めていくか、
もっと、現代的な解釈と、現代的な〝恋愛コード〟に即した映画にできる監督に撮らせるか、
もしくは、30年前に撮っておくか、といったところ。これは無理だけど。
全体的なコンセプトの甘さ、そして狙いどころのユルさが、そのまま映画のヌルさにつながっている。
「撮りようではもう少し何とかなるのにな…」。そんな思いがただただ、残ったのだった。