ロバート・B.パーカー「ダブルプレー (ハヤカワ・ノヴェルズ)」

mike-cat2005-03-29



私立探偵スペンサーを描いたシリーズが有名な作家だが、こちらは別。
初の黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンを題材に描いた小説だ。
アフリカ系米国人、と表記すべきなのは承知だが、一応小説の通りに書く。
ニグロ・リーグと大リーグが分立していた1947年、
人種の壁を初めて乗り越え、ブルックリン・ドジャース
(現ロサンゼルス・ドジャース)に入団したロビンソン。
立ちはだかる人種差別の壁。想像を絶する中傷と、脅迫。
望もうとも、望まざるとも、彼のプレーは〝政治活動〟となった。


小説は、そうした当時の情勢を踏まえたフィクションだ。
主役は、二次対戦で負傷し、妻にも逃げられた白人ボディガード。
トラブル必至のロビンソンのボディガードを引き受けたバークの、
悪戦苦闘ぶりと、ロビンソンとのこころの交流、
そして自身のこころの再生が描かれる。
試合のテーブルなんかも載ってて、野球好き以外は敷居が高そうだが、
意外にそうでもない。むしろ、野球にからんだ描写は入門編程度だ。


やはり小説の神髄は、当時の黒人たちが置かれた状況との戦い、の部分だ。
出場しただけで壮絶な嫌がらせにあったロビンソンが、
ちょっとでもそれに逆らう姿勢を見せたら…
そう、淡々と受け止めながらも、プレーを続けるしかないのだ。
政治的な発言も、本来ならする〝べき〟ではあるのだろう。
だが、それは現実的とはいえないし、危険すぎる。
小説の中でロビンソンは語る。
おれは大リーグでプレーできる力があることを示すだけだ、と。
解説で、当時のドジャースのオーナーが、
初の黒人プレーヤーに、ロビンソンを選んだ理由が紹介されている。
野次られても、我慢できるから、ロビンソンを選んだ、と。


ロビンソンが背負わされたものの重さは、想像を絶する。
そのロビンソンのグラウンド以外での〝闘い〟をバークが請け負う。
時にはイタリア系マフィア、時には同じ黒人ギャング…
人種的な脅迫に、野球賭博のわな。
様々な障害と闘う中で、バークとロビンソンの信念が熱く交錯する。
マフィアの手下でも、切れる男キャッシュが登場する。
敵同士だけど、認め合うバークとキャッシュの友情も、
とてもハードに、ハードボイルドしてて、まことにカッコいい。
このテイストの絶妙な混ざり具合には、思わずのめり込む。


そして、時折挿入される野球少年の回想。
直接リンクはしないが、作者自身と思われる、この少年の野球への想いが、
また、小説の味わいをより深いものにしている。
ラジオの中継に耳を傾け、こころをときめかせる。
〝スコアを聞いていると−ピッツバーグ4、シカゴ2、そしてクリーブランド8、デトロイト1−
 緩やかに起伏する共和国の広がりを越えて、
 一度も行ったことのない大都市、そこで試合を見ている人と結ばれるような気がした。
 それらの都市が目に浮かぶ。それらの都市の湿気を含んだ熱暑のにおいを嗅いだ。
 ………
 見物席のマイクで増幅されたバットの音。売り子の呼び声。演奏しているオルガンの音。
 …アナウンサーの楽々とした自信溢れる言葉の流れ…
 そのすべてが、胎児に伝わる母親の鼓動、生命と信頼のリズムになった。
 永久不変の音だ。〟


小説のあらゆるところに貫かれる、野球への、果てしなく深い愛情。
この描写だけで、ナショナル・パスタイム(国民的娯楽)であった、
大リーグのさまざまな光景が、目に浮かんでくるようだ。
そして、その愛情があるからこそ、
この小説でバークがロビンソンが貫こうとする信念が、光り輝く。
そして、バークのこころの再生が、こころに染み入っていく。


特別に凝ったストーリーや、仕掛けが用意されているわけではない。
読みやすい反面、ストーリーの流れはあまりに容易な気もする。
だけど、それでもまったく構わない。
これは、ロビンソンと同じ時代を生きた人間の、特別な歴史の回想でもあり、
その活躍に胸躍らせた人間の、特別な野球の思い出の回想だ。
凝った作りでないからこそ、より強く伝わってくる感動。
なるほど、名作だな、と納得した次第だった。