天王寺アポロシネマ・プラス1で「エターナル・サンシャイン」

mike-cat2005-03-27



原題は〝Eternal Sunshine of the Spotless Mind〟
直訳すると「無垢のこころを照らす、不滅の太陽」?
英国の詩人アレクサンダー・ポープの詩の引用だという。
「真の幸福は罪なき者に宿る。忘却は許すこと。
 太陽の光に導かれ、無垢な祈りは神に受け入れられる」の、
前段の部分がそれに当たるらしい。


祝、アカデミー賞脚本賞受賞ということで、
マルコヴィッチの穴」「アダプテーション」「ヒューマン・ネイチュア」と、
ヘンなお話を世に送り続ける脚本家、チャーリー・カウフマンの最新作だ。
で、ジム・キャリー主演のケイト・ウィンスレットキルステン・ダンスト共演。
これだけでもう必見、という感じなんだが、不安もあった。
カウフマンの脚本って、プロットはすごいけど、
個人的には本当に面白いと感じたのは「アダプテーション」だけ。
実際の作品を観てみると、意外と凡庸な出来だったりして、けっこう悩ましい。
特に、監督がミシェル・ゴンドリーじゃ、不安はよけいに…。
この人、やたらと評価高いけど、「ヒューマン・ネイチュア」とか、
いかにもPVっぽい作りがあんまり好きになれなかった。
さらに、ジム・キャリーというと、シリアスなドラマでもオーバーアクトしてしまって、
微妙に空回りすることも多いんだが、そちらもやや心配だった。



しかし、今回の「エターナル・サンシャイン」は、そこらへん、おおむね大丈夫だ。
恋人との別離に落ち込むジョエルのもとに、突然届いた手紙。
「クレメンタインはジョエルの記憶をすべて消去しました ラクーナ社」。
ショックで立ち直れないジョエルは、ラクーナ社を訪れ、
自分の頭の中の〝彼女の記憶〟を消去するよう依頼する。
時系列が前後するだけに留まらず、
現実の出来事と、ジョエルの脳の中での〝出来事〟が、
複雑に絡み合う複雑な構成で、ストーリーは展開していく。


だが、その複雑な構成は、むしろドラマを盛り上げる方向で、有効に機能している。
もちろん、知識ゼロの状態で観たら、微妙かな、という面はある。
もう少しシンプルに作ってもいいかな、とも思う。
ここらへんは、凝った脚本を作る、というカウフマンの特長が、
カウフマン自身を縛っている部分は否定できない。
だけど、時系列に関しては、
頻繁にカラーリングするクレメンタインの髪の色でうまいこと整理しているし、
現実と空想の狭間がごっちゃになるのは、
ある意味カウフマンならではの味わいもあるわけだし、
これはこれで、いいんじゃないか、と納得のいくレベルの瑕疵に過ぎない。
ゴンドリーの演出も、まずまずといってよかったんじゃないだろうか。
中盤までは、間延びした場面も微妙に気になったが、
後半は次第にテンポも上がっていたと思う。
ジム・キャリーの演技も、途中ちょっとコミカルに過ぎる場面もあったが、
全般的には抑えめで、ドラマの味わいを損なうまでには至らなかった。
まあ、こうして挙げていくと、引っ掛かる部分もまああるのだが、
この映画にはそれを越えるドラマがある、というのが結論だったりする。
愛って、結局なんだろうな、というテーマを、うまいこと掘り下げている。
ことしのベスト1とはいわないが、間違いなくベスト5には入る、いい作品だったと思う。


記憶の消去、と聞くと非常にSF的な設定なんだが、とても興味深いテーマだ。
まずは〝どうやって記憶を消すのか〟というテクニカルな問題。
彼女との思い出をインタビュー形式で聞き出し、
コンピューターで脳内の〝記憶地図〟を作り出す。
で、コンピューターと脳をレーザーで直結し、
彼女の記憶に関わる部分に、ごく小さな〝脳障害〟を起こさせる。
聞いてるだけで、倫理的にも実現不可能とわかるけど、
これはこれでなかなか面白い発想だ。
まあ、インタビューだけで完璧な〝記憶地図〟は作成不可能だろうし、
記憶はどこかで必ずリンクするだろうから、
彼女の記憶だけ、きっちり消去できるとは思えない。
だいいち、脳の一部を〝焼いちゃった〟ら、健康上もまずいだろうから、
厳密にはかなりムリはあるんだろうけど。


しかし、そんなことはこの映画のテーマじゃない。
ここらへんから、けっこうネタバレっぽくなるので、未見の方はご注意を。
こういうケースを仮定した場合、
①記憶を失うことを望む人がいるのか? そして、
②記憶を消去しあったふたりが、再び出会ったらどうなるか? さらに、
③ふたりが再び恋に落ちたとして、もし〝過去〟を知ってしまったら?
そんな、さまざまなテーマを内包しつつ、物語は進む。


①に関しては、立ち直れないほどのショックを受けていたら、
記憶消去ってのも、アリなんだろうか。
もう生きていけないほどの、廃人になりそうなダメージだったら、
希望する人はいるんだろうと思う。
けど、そのくらいダメージを受けるぐらい、大事な恋だったら、
楽しい記憶だって、消えてしまうのだ。そんなの、耐えられる?
ちなみに映画の中では、愛犬の記憶を消すおばさんも登場するが、
それこそ、安直な現実逃避としか思えない。
喪失の痛みをも可能性として内包するからこそ、愛は美しいと思うんだが…
まあ、そういう人もいるんだろうな、とは理解できるけど。


②は当然、出会うシチュエーションがどの程度違うか、にもよるのだろうが、
案外、ふたたび恋に落ちるケースって少ないんじゃないだろうか。
もちろん、好みのタイプだとかは同じだけど、
タイミング次第で、意外に結果は変わってくるんじゃないか、と。
ま、ちょっとしたきっかけで、恋に落ちることなんか、いくらでもあるんだから、当然か。
ここらへんは、映画の中ではあまり深い言及なし。
ここまでやってると、いくらなんでもテーマ広げすぎかも。


③は、この映画のラストに関わる部分。
なので、未見の人は要注意。
再び出会い、恋に落ちたふたりが、突然突きつけられた、ふたりの〝過去〟。
奔放なクレメンタインと、良識派のジョエルが、
険悪な関係に陥り、そして別れるに至った経緯が、
本人たちの告白テープによって明らかになる。
「あの女は下品だ。教養がない」「あのオトコは退屈だ。息が詰まる」。
これを知った後のふたりの〝選択〟をどう描くか。
映画そのものの方向性が問われるトコロだ。


難しい問題ではあると思う。
ひとそれぞれ、答えはあるはずだ。
観る人に答えを委ねるラストもアリだったかもしれないが、
カウフマン(ゴンドリー?)は、〝不滅の太陽〟ともいえる希望にその答えを求める。
もちろん、記憶の消去作業に対し、
ジョエルの〝無意識下の自意識〟が抵抗を重ねる、
そこまでの映画の流れからすれば、当然の選択ではあるのだけれど。
そこまでの流れをどう作るかで、答えはどちらにでも変わると思う。
たとえ、まったく同じプロットだったとしても、
ペシミストの脚本家を使ったら、ラストは全然違うものになるはずだ。


しかし、この映画なら、このロマンティックな解答こそがベストだと思う。
ちなみに、僕は泣いた。安直? それでもいい。
やっぱりこうあって欲しいな、と思うから。
〝また恋がしたくなる−〟
ポスターに書かれた、のキャッチコピーはダテじゃない。
この映画、少々風変わりだが、思わず熱くなるラブロマンスなのだ。
観た通りに、素直に感動を受け止めるもよし、
映画の投げかけるテーマに想いをめぐらせるもよし。
〝また、観たくなる〟映画だったりもするのだった。