ロマンかき立てる「灰色の北壁」

mike-cat2005-03-26

真保裕一灰色の北壁


ホワイトアウト (新潮文庫)」の著者による、山岳もの短編集だ。
自らクレタ島の山に挑んだ紀行もの「クレタ、神々の山へ」の興奮を、
再び物語の世界にぶつけたかのような、作者の熱い想いが伝わってくる。
ホワイトアウトのような、冒険小説というより、
むしろ山岳ミステリーの様相を取った3短編だが、読み応えは十分。
セルフビレイだの、ツェルトだの、コッフェルだの、
知らない用語の数々も、まったく気にならない。
登場人物たちそれぞれの、山への想いが、味わい深い物語を紡ぎ出す。


僕的な好みでは「黒部の羆」が、抜群にいい。
ふたりの大学生が北アルプス剱岳に挑む、嫉妬と悪意の渦巻く登山。
そして、山岳警備隊を退いた後も、山に留まりつつける「黒部の羆」。
ふたりの大学生が抱える秘密、そして「羆」の山にかける想いが、
ミステリー仕立てに構成された物語の中で、交錯する。
山の厳しさと、その山に見せられる男たちの、
シンプルな物語もいいが、それに嫉妬や悪意が絡んでくると、
また物語の味わいは違った様相を見せる。
たとえ、腹黒かろうと、善良であろうと、
山は分け隔てなく、過酷な条件を突きつけてくる。
その極限状況の中で露出する、人間の性、みたいなのが、
とてもリアルに伝わってくる、深いドラマだ。
もちろん、汚いばかりでは面白くない。
そのれやこれやを超えた先にあるドラマが、こころを打つのだ。
そして、ドラマのエンディングには、ちょっとしたサプライズが待っている。


いきなり、最初の短編でのめり込むと、次に待つは表題作の「灰色の北壁」。
こちらは疑惑の登頂をめぐる、ある登山家とジャーナリストの苦闘を描く。
疑惑の登頂に隠された、ある秘密が物語の焦点となる。
しかし、それだけで終わらせないのが、山好きの真保裕一だ。
メディアにおける、登山家の冷遇、そして無責任な報道へ、
厳しい批判の目を向けている。
まあ、メディアの無責任さというのは、嘆いても始まるものではないから、
多少あきらめないといけないとは思うし、
メディアにおける取り扱いは、本当の価値とはまったくリンクしないものだ、と
いうことさえわかっていればいいとも思う。
もちろん、メディアにおける取り扱いが増えれば、
当然オカネはめぐってくるから、多額の資金を必要とする登山家にとっては、
やはり生命線であることは理解はできるんだが。


最後の短編「雪の慰霊碑」は、
ひとり息子の譲を北笠連山で失った坂入が、3年の時を経て山に臨む。
登山道に足を踏み入れ、坂入のこころに、感慨が宿る。
〝この一歩が亡き息子との語らいになる〟
周囲を拒絶するように、山に入った坂入の行動の目的が、焦点となる。
その坂入の行方を追うのは、その譲のかつての婚約者、多映子と、
譲のいとこで多映子に想いを寄せる野々垣。
さまざまな秘密や思慕が絡み合っていく。
山ですべてを奪われた人たちが、もう一度山に臨む時、
どんな想いがよぎるのか。そしてどんなことが起こるのか。
非常に興味深い部分を描いた作品だと思う。


結末をバラす気はないので、特に書かないが、
坂入の想いは、ギュギュギュと音を立てるように伝わってきた。
坂入は、譲の死を乗り越えたのか、それとも…
そこらへんは、読んでのお楽しみ。
ホワイトアウト」を楽しめた人には、間違いのない作品だと思う。
山へのロマンをかき立てられること、請け合いだ。
ここまで書いておいて、実生活では山登りどころか、
ロクに階段も上らない生活をしてるのが、
僕の目下の課題だったりするのだけれど…。