道具屋筋の千日前セントラルで「ネバーランド」

mike-cat2005-02-08



どうもいいらしい、との評判は聞いていたが、これほどとは思わなかった。
ことしのベスト候補、とまではいかないけど、
僕的には94点は差し上げたい、いい映画だった。
考えてみれば、「チョコレート」のマーク・フォースターが監督して、ジョニー・デップ主演。
いい映画であっても、何の不思議もない、ってヘンな言い方だが。
主演のデップとともに、脚色のデーヴィッド・マギーもアカデミーにノミネート。
なるほど、納得という感じだ。


映画の原題は〝Finding Neverland〟
あの「ピーターパン」の戯曲原作者、J・M・バリーが物語を生み出すまでの実話をもとに、
ネバーランドを追い求めるバリーと、ピーターパンのモデルにもなった少年たちとの交流を描く。
これだけ聞くと、子供向け映画にも聞こえるが全然違う。
「チョコレート」同様、人生のほろ苦さと、それを受け入れ、生きていく尊さを描いていく。


少年ピーターは、父の死に際し、感情を殺すことで対処しようとする。
彼にとってそれは、子どものこころを捨てようという試みでもある。
だが、それが本当に〝おとなになる〟ことなのか。
子どものこころを持ち続け、人生に立ち向かうことはできないのか?
子どもの頃の哀しい体験を乗り越えつつ、子どものこころを失わないバリーが、
少年ピーターと、その兄弟、そして母の交流の中で、
訴えていくことは、とても切実なテーマだ。


これだけをテーマに映画を描いても、たぶんそれなりの映画にはなると思う。
ただ、それではバリーは単なる聖人君子。人間的な深みは出てこない。
この映画の味わいを醸し出しているのは〝人間〟バリーの描きぶりだ。
子どものこころを大事にしていたって、妻との間は冷えきっているのだ。
ここで普通の映画なら、妻を悪者にして、はいおしまい。
だが、妻の言い分は言い分でフェアに描く。
バリーはバリーで、こころに抱える問題があることを、きちんと示すのだ。


未亡人となったピーターの母、シルヴィア=ケイト・ウィンスレットとの交流に苦言を呈す祖母も、
普通なら単なる悪役=障害にしてしまえるものを、
きちんと娘やピーターを想うばかりに、という部分をきちんと描く。
だから、祖母も正しいし、バリーも正しい、シルヴィアだって正しい。
みんな正しいけど、それだけでは人生は成り立っていかない。
そんな矛盾を抱えた、生きていくことのほろ苦さは、もう切実に迫ってくる。


哀しみに立ち向かう少年ピーターの姿も、痛々しく、そして切ない。
もうたまらないのだが、そんないろいろなこころの動きとかが、
ラストで無理なく、感動の涙に昇華される。
もちろん、幾ばくかの切なさは残しつつ、だ。
「ピーター・パン」誕生秘話としても楽しめるし、少年の成長物語としても楽しめる。
中盤から泣きっぱなしの、涙垂れ流しっぱなし。
終わってちょっと腰にくる(劇場のイスの問題もあろうが…)くらい、
泣かされてしまった。


じゃあ、そんなにいいなら何で6点減点か、ってとこも付け足しておく。
ピーター少年=フレディ・ハイモアがある意味うますぎて、ちょっと興ざめする場面がある、という点。
感情表現はかなりうまかったと思うのだが、
世の中に対してすねて見せる部分が、どうにも演技くさすぎて…
もう少し、自然な感じでできなかったのかな、と減点。
ちなみにピーターの4兄弟を演じた末っ子マイケル=ルーク・スピルは天才かも。


それと、これは勝手にこっちが考えてしまったことなんで、映画に罪はないが、
最近のアメリカの裁判で話題になってる、
ネバーランドに住んでる、ある子ども好きのスターを思い出してしまって…
実際バリーにもそういう噂はあったらしいし、
映画の中でもそういう悪意のある噂については触れているけど、
どうにも、それが微妙に引っ掛かってしまうのが、痛いな、と。
ホント、つくづく罪深い人だね、マイコー