やはり決め手は、ディテール描写

書き下ろしの短編もなかなか

野中柊ガール ミーツ ボーイ
野中柊、けっこう久しぶりかも。
ネコがらみの2冊を昨年、続けて読んで以来だ。
ジャンピング・ベイビー 参加型猫
「ジャピング〜」は、ある日曜日に、別れた夫と愛猫ユキオを埋葬に行く話。
「参加型猫」は、ちょっと変わった女のコの恋や、ノラ猫チビコとの出会いの話。
ストーリー自体は、どの作品も取り立てて変わった話でもない。
ドラマチックな展開も、さほどない。
だが「物語の命はディテールに宿る」という言葉を、あらためて実感させてくれる作家だ。


そんな言葉、聞いたことない、という人もいるかと思うが、
映画で言えば「パルプ・フィクション

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あれなんか、変に凝ったダイアログが、その味わいの大半を占めていた。
サミュエル・L・ジャクソンジョン・トラボルタの〝フランスのマクドナルド話〟。
「ル・ビッグ・マック」だの「ロワイヤル・ウィズ・チーズ」だの。
話の筋には直接関係のない、でもキャラクター造形に深く関わる部分のこだわりだ。
もともとの設定やストーリーも大事だが、
物語を本当に形作るのは、むしろこうしたディテールにある、と信じてる。


「参加型猫」でも、あるレストランのランチメニューに
「娼婦のスパゲティ」やら「絶望のスパゲティ」だのが出てくる。
別に料理小説でもないし、直接そのレシピが物語を左右するわけじゃない。
だけど、それをきちんと解説されるところが、何ともいえない小説の味わいとなっている。
ちなみに絶望のスパは、
ケイパー、アンチョビ、ブラックオリーブポルチーニのトマトソース。
何で「絶望」かは結局判明しないけど、その思考の過程が、また面白い。


「ガール・ミーツ・ボーイ」でも、その味わいは健在だ。
いわゆる〝できちゃった結婚〟後、夫に突然失踪されたわたし、美世。
それでも、こんど6歳になる息子、太朗とともに送る、楽しく平凡な毎日。
友人の牧子や杏奈ちゃん、そして太朗のともだち、みちるちゃんとの日常。
だが、ある日太朗の帰宅が遅れたことを発端に、微妙な変化が訪れる。
読んでいて、キュンとくる優しい小説だ。


杏奈ちゃんの描写をちょっと引用する。
「ソフトアフロとでもいうのだろうか、ジャクソン・ファイブやパパイヤ鈴木ほどの、
ちりちり大爆発アフロではないものの、ミュージカル「アニー」に登場する少女…」
でも、やせっぽちで長身の体に、ガーリーなアメリカンの服装。
顔立ち薄い、うっすらソバカス。
その上、急な呼び出しだったため、Tシャツ、ノーブラ、乳首浮き出てる。
「たとえば、ジェーン・バーキンや、シャーロット・ランプリングのケースが…」。
だからといって、別にエロチックな描写にはなっていない、微妙な感触がいい。


もう一つ、ちょっと引用。
美世が太朗をめぐるトラブルに遭い、ほとんど面識のないみちるちゃんの家で号泣する。
嗚咽をもらしてしゃくりあげる美世に、みちる父が「オレンジ食べますか」。
ちなみにオレンジ、家にない。結局白桃食べるんだが、
剥き方から、果肉の描写、汁が垂れる様子、そして最後はみちるの喉を通る様子。
「淡い色の産毛が生えた頬の肉が規則正しく運動し、やがて喉が微かにうち震える」
こっちは、隠微なシーンじゃないのに、すごくエロチックだ。
食べることの根源的な喜びにまで迫る、といったら言い過ぎかもしれないが。


でも、こうしたすごく詳細な描写が、浮き上がらない。
逆に、小説へののめり込みを、加速させる。
商品名もどんどん出てくるので、いつか時間が経ったとき、
いま、という時間を生きていなかった人間は、違和感を感じることもあるだろうけど、
同時代を生きた人間にとっては、いまをスクラップしたみたいな、タイムカプセルともなる。
読み終わって、近いうちにもう一度読んでみようかな、という、貴重な作品。
もっと、もっと、ディテールを味わいながら、読み込んでみたいな。
そんな想いが、強く残った。