宗教、それは娯楽の源泉

二度とこのPC、使いたくない!

福岡滞在中最大のできごと。パソコン壊れる。
ことし3度目か4度目のハードディスククラッシュ。
コネクタ部にどうも問題があるらしく、しつこく壊れる。
もう、何度データが失われたか…
確かに、まめにバックアップしないのも問題だけど、
このリブレットの脆弱さは、あまりにひどい。
PCカードのスロットもすぐ痛むし。
その上、CPUクルーソーで、耐えられないほど動作遅いし。


と思っていたら、帰京して会社のシステム関係のサポートに行くと、お知らせが。
11月にダイナブックの新機種に差し替えられるとのこと。
よかった、というの半分。ポインタがアキュポイントからタッチパッドへ…。
実はタッチパッド苦手なんだな。リンダ、困っちゃう。


そんなショックを抱えながらも、
長らく取得できなかった勤続慰労休暇9日間を申し出る。
この前、リフレッシュ休暇5日間が、海の藻くずになったばかり。
今年中に、と申し出ると、こたえは「あしたから12連休でいい?」
あの、それではマイレージも使えないし、お金も準備してないし…。
そんな想いも「今しか長期休暇は取れない」との強硬な姿勢に屈する。
悔しい。その上、ホントは3日後からけっこう大事な仕事だった、はず。
こういうの、ふつう〝自宅待機〟? ま、お給料もらえれば、戦力外通告何のその、だ。


で、きょうのお題は「宗教的背景がもたらす娯楽性」だ。
もちろん、冒涜する気はないので、まずは、それだけご理解を。
で、読んだのはA・H・Z・カー「誰でもない男の裁判」。

誰でもない男の裁判 (晶文社ミステリ)

誰でもない男の裁判 (晶文社ミステリ)

表題作の原題は「THE TRIAL OF JOHN NOBODY」。
ジョン・ノーバディー、身元不明死体のジョン・ドゥみたいなもんで、
いわゆる、〝名無しの権兵衛〟。だから、誰でもない男だ。


神を冒涜し、民衆に罪を唆す作家、ダージョン。
「さあこい、神さま。おれを殺してみろ」
「おまえが本当にどこかにいるんだってことを証明してみろ」
教会の演説でうそぶいたダージョンが、突如射殺される。
犯人はみずからの名前の記憶すらない、ジョン・ノーバディ。
「神の声を聞いた」。その声に従って、ダージョンを殺したという。
果たして真相は…
民衆の支持をバックに、無罪の声も挙がる中「誰でもない男」の裁判が始まる。


ミステリならでは、の謎解きに加え、
「人は信じたいように信じる」という指摘も、ひとつのテーマになってる。
戦後間もなく書かれた、古典的なミステリなので、そんな古風な趣が、心地よい。
でも、本格ミステリのよい読者とは言い難い僕が感じるのは、別のことだ。


近日続編公開の「エクソシスト」や「オーメン」を観て、
「ひーっ、怖いよう」とびびった人は多いだろう。
エクソシスト プレミアム・ツイン・パック [DVD] オーメン・トリロジーBOX [DVD] 
確かに、何にも考えず観ているだけでも、相当に怖い。
だけど、キリスト教社会で育った人間にとってあの映画は、
人生を揺さぶるレベルで怖かったりするもんじゃないだろか。
ある意味、そのくらいのバックボーンを持ってないと、
本当の怖さがわからないんじゃないか、と思う。


そういう意味でいくと、この「誰でもない男の裁判」も同様だ。
神を冒涜し、民衆に罪を唆す男が、どのくらい「死んでも構わない」男なのか。
一般的な考え方では、可能なら無罪にしたい、というのが大勢を占めるのか。
ここらへん、頭で理解するだけと、感情や魂のレベルで感じるのか、全然違ってくる。
信仰心(Faith)は持っているが、特定の宗教(religion)を持たない僕としては、
小説の味をどこまで味わっているのか、不安になる面もある。


そう考えると、本当に厳格な信者をのぞいては、
宗教的背景って、立派な娯楽を楽しむために必要な素養であったりするな、と思う。
ま、宗教だって、文化の一形態ではあるから当然なんだけど。
この小説を読んでいると、その素養があるとないとで、話の面白みに格段の違いがある。
ちょうど、「エクソシスト・ビギニング」の予告を観たばかりなんで、
こんなこと考えたのか、とも思うけど。


そうそう、本はなかなか味わいの深い7編。
ほかには「姓名判断殺人事件」とか、非常に古典的な味わいがあってよかった。
ネコ絡みは2本。でも「黒い子猫」「猫探し」に関してはあんまり感心しなかった。
口先ひとつで、高級な生活を賄う詐欺師を描いた「ジメルマンのソース」が◎。
本格ミステリファンじゃない僕でも読めたから、いい本だったんだ、と思う。
お勧めか、といわれるとやや微妙。
値段も値段だし、文庫化時間かかりそうだし。
やはり〝お好き〟なら、としかいいようがない。