本質をねじ曲げる過剰反応

安藤健二封印作品の謎」。

封印作品の謎

封印作品の謎

幻の作品、とも称されるウルトラセブンの第12話「遊星より愛を込めて」などの、
封印に至った背景や、現状についてのドキュメンタリーだ。
ちなみにその他のラインナップは

ちなみに、最後の一つだけ異色だが、著者が産経新聞の記者時代に関わった、
こだわりの事件だったようで、説明も多くの行数を割いている。
ただ、アダルトゲームソフトのキャラクターを、行政監修のソフトに使った、
というコトだけなんで、あまり大きな問題ではない。
あくまで、この本を出すきっかけに過ぎない感じかもしれない。


封印の理由は、O−157以外は、基本線で一緒だ。
ひとことでいってしまえば、セブンとノストラダムス被爆者差別、
怪奇大作戦ブラックジャックは精神系の患者差別が問題になっている。
なるほど、説明を読むと、そういった差別に苦しんでいる人への配慮を欠いた面もある。
抗議を受けるのも、もっともだ、という面も否定はできない。


ただ、である。セブンでは、本放送ではなく、
雑誌などでの二次使用の際のキャプションが招いた誤解だし、
ロボトミー前頭葉除去)手術を描いたブラックジャックも、
当時の医学会のうねりに巻き込まれた感も強い。
きちんとした説明や、ただし書きさえあれば、
差別を目的としたものではなく、むしろ逆の意図を持った作品であることがわかる。


だが、発端の抗議はともかく、その後封印に至るまでの経緯を見ると、
よく読みもしないで、観もしないで、その運動に「乗っかる」人間の多さに驚かされる。
特にメディアの人間にその傾向が強い。
「差別」と聞くと、あとは思い込みでガーッと関係者を攻撃する。
そこには思考は存在しない。
それでいて、相手を、周囲を思考停止に追い込むだけの激しさを備えている。


たいてい、当事者はつんぼ桟敷だ。わざとこの言葉書いたけど、
これだって、この言葉自体が差別を目的としていたわけじゃない。
この言葉を差別的に使う人間がいたから、差別用語になってしまっている。
ちなみに、このPCの辞書だと、変換時に(注)がついたりする。
「使うな」ということだ。思考停止。
確かにこの言葉を使うに当たっては、ほかの言葉に言い換える(〜の不自由な)
ことと比べてみると、あまりに莫大な労力を要することになる。
特に、一般の目に晒される時には。
でも、当事者にとって、何が一番気になるのか、どういう点は構わないのか、
というのは不思議なぐらいに問題にされない。


たいてい、コトが怒って以降、誰よりも神経をとがらすのは、抗議を受けた側だ。
もちろん、当事者に対しての配慮ではない。
また攻撃を受けることへの恐れが一番にある。
だから、もう議論すら放棄する。思考停止だ。
そうした、腫れ物に触るような対応こそが、差別の一形態でもあるのに。
確かに、差別に関わる内容を含む作品の難しさを考えると、
大変な労力を割いてまで難しい問題を取り上げるより、
当たり障りのないことだけ書いとけばいいや、という動きが出るのは理解はできる。
当事者が放っていて欲しいケースもあるだろう。
しかし、そうした対応は、問題の解決ではなく、ごまかしに過ぎないのも確かだ。


この本の中身に限らず「なんでこのくらいのことで…」と思うことは世の中多い。
でも、当事者の身になってみれば、のケースも多く存在する。
きちんと時間をかけて理解を深める以外、対処法はないと思うが、
それもなかなかうまくいかないのが、実際のところなんだろう。
結局は、声の大きい圧力団体がいれば、理解を深めるより、力で思考停止した方が…、
となってしまうわけか、と考えると、何だかブルーになってしまった。


封印作品にプレミアがつく、ブラックマーケット事情なんかは、
なかなか興味深い点も多いけど、興味本位で読むとけっこうきつい本。
セブンやブラックジャックの名前につられて(事情はおぼろげに知っていたけど)、
軽い感じで読むには、けっこうヘビーに過ぎたかも。
むしろ、多少知っていながら、軽い感じで読もうとした自分の配慮のなさに、
けっこう反省してしまった。ううん、すみません。そのひと言だった。