不運でも、幸せな「ゲーム」プレーヤー

ポスターは米国版でっす

〝Jeux d'enfants〟
心ときめくロマンチックな「こどもたちのゲーム」だった。
世界でいちばん不運で幸せな私」atシネスイッチ銀座


恋する人との危険なゲーム。かける言葉は〝Cap ou pas cap?〟
「ノる?ノらない?」。
相手の課した無謀な要求をクリアできれば勝ち、できなければもちろん負けだ。
ガンで死にゆく母を看取るジュリアンと、ポーランド移民のいじめられっ子ソフィー。
ある日、涙にくれるソフィーに、ジュリアンが差し出した宝物は、
メリーゴーランドを象った宝物のブリキ缶だった。
「時々返してくれる?」とジュリアン。「ゲームに勝ったらね」とソフィー。
こうして、二人のゲームが始まる。
最初は子供のイタズラだった。
年齢を重ね、悪ふざけ度を増した二人のゲームは、
二人の愛情を深めながら、一方で二人を引き離していく。
人生を取るか、ゲームを取るか。相矛盾したふたつのものを求めた二人の、愛のおとぎ話。


監督はイラストレーター出身の新人ヤン・サミュエル
ジャン=ピエール・ジュネばりの映像センスというか、「アメリ」チックな映像が、
ファンタジックな世界を作り出す。
音楽はフランソワ・オゾンの「スイミング・プール」などを監修したフィリップ・ロンビが、
ルイ・アームストロングドナ・サマーによる「ラ・ヴィアン・ローズ」で、
ノスタルジックな雰囲気を醸し出す。
キャストも絶妙、といっていいほど、はまってる。
ジュリアンに「ザ・ビーチ」のギョーム・カネ
ソフィーに「taxi」のマリオン・コティヤール
二人の子供時代はイタズラっぽいジュリアン少年と、
いかにも移民っぽさを醸し出しつつ、愛らしい少女ソフィーがうまく配役されている。
すべての舞台装置がはまって、この甘く、切なく、キュンとなる映画を作り上げてると思う。


印象的なシーンも多かった。
死の床に就いた母の回復を祈り、床のタイルを飛び越すおまじないをするジュリアン。
「タイルを3枚跳び越せたら、クリスマスを過ごせる」。
しかし、足はタイルを滑り、体は宙を舞う。同時に響く心臓停止の音「ツーーー」。
ジュリアンが、慌ただしく、荒々しく病室から追い出される。
そしてシーンは墓地での葬儀に移る。毀れた目をしたジュリアン。
だが、そんなジュリアンを励ますのは、ソフィーの歌声だ。
花を全身にまとい、大きな霊廟の上で歌う「ラ・ヴィアン・ローズ」。


もう挙げだしたら止まらないが、もう一つ。
ほかの女性との「まっとうな人生」を選んだジュリアンの結婚式。
子供のころの約束「結婚の誓いには〝いいえ〟と答える」。
ソフィーの目前で、ジュリアンが取った行動、そしてソフィーの反応。
たまらなく切ない、いやどうしたらいいんだろう、となってしまう。
とまあ、こんな感じで、涙が止まらないシーンがめじろ押しだ。


一方で、テーマはただ一つといっていい。
ゲームに魅せられ、ゲームを通じた対話で愛情を深めてきた二人。
ゲームに囚われ、素直な愛情すら、ゲームの一環にしてしまう二人。
どうやったら愛し合えるのか、遠回りばかりしている二人。
よっく考えると、「別にそんなゲームせんでも…」という気もするんだが、
二人にとってこのゲームこそが世界の中心であり、生きていく上での大事な要素だ。
何のためにゲームをするか、ではなく、
ゲームこそが目的であり、二人の愛の行動様式なのだ。
こうして、書き出していくと、やっぱりヘンな人たちではあるのだが…


人生って複雑だなぁ、とつくづく考えさせられちゃう映画だ。
僕にはかなりムリかも、というか、断じて、できない系統の恋愛だと思う。
たぶん、ゲームに負けることを選んで、彼女を取ろうとする。
そして結果は、彼女すら失う。ああ、もう最悪の結果が見えている。
こうして考えると、こういう愛、本当にロマンチックだが、心の底から厄介だ。
そうか、だから「世界でいちばん不運で幸せな私」。
なかなかいい感じの邦題つけたもんだな、とあらためて感心してみせたりする。遅いよ。


映画の出来? これがなかなかくせものだ。
ラストも泣けるが、けっこう賛否両論分かれるかもしれない。
ストーリーも素敵だが、多少ムリがあることも否めない。
そう、欠点は決してないわけじゃない。
だけど、すごく気になる、忘れられない、まさに心に響く映画だ。
どうか、意地悪な気持ちにならず、受容の心で観て欲しいと思う。
きっと、切ないけど、とっても幸せな気分になって、映画館を後に出来るはずだ。