アントニー・ビーヴァー「ベルリン陥落 1945」

ベルリン陥落 1945
で、本日のご本はアントニー・ビーヴァーの「ベルリン陥落 1945
二次大戦下のドイツが敗れた際の、ソ連赤軍連中のベルリン進攻の様子を中心に、
当時を振り返ったドキュメントものだ。
これが重い、ひたすら重い。本自体の目方もだけど、内容はもっと重い。


あの戦争でドイツというと、やはりナチのホロコーストに尽きるだろう。
それと並ぶ蛮行でよく知られるのは、
日本軍が中国・朝鮮でやった虐殺、強制連行、集団暴行…
だが、である。
もちろん、これらを認める気はまったくないけど、
その後、歴史として語られる際には語られるのは基本的に、
あくまで戦勝国の観点から見たバイアスをかけられ、選別されたものだけだ。
たとえば、事実として、アメリカが原爆を落としたのは確かだし、
これは何といおうと、戦争犯罪のはず、だと思う。
でも、あんまり戦争犯罪というとらえ方はされない。
もちろん、日本を正当化するつもり、まったくない。
むしろ、日本の行った戦争犯罪に関しては、
きちんと謝罪と保証がなされてこなかったことに憤りを覚えているくらい。


でも、である。やっぱり原爆ダメでしょ。
戦争終わらせるため、との大義名分をそのまま受け取っても認められないし、
ましてや、テストしたかった&戦後の対ソ政策の関係上なんだから。
そうやって考えると、一応、色々な視点、
というか、あの戦争の敗者から見た歴史も知っておいて損はないかな、と思う。
その文脈でいくと、やはり赤軍がドイツで行った蛮行の数々も、許し難いこと甚だし、だ。


ロシア兵、「ドイツの犯罪に対する報復」をうたっているけど、本当にひどい。
人と思えない。それどころか、ドイツ人だけじゃない。
ドイツの支配から、開放されたロシア人奴隷の女性たちでも平気で襲う。
「あたしたちにとって、ロシア人は死神よりまだ悪いわ」。
自国民にこんなこといわれる軍隊だ。ここに書くのもイヤなこと、しまくったらしい。


こういうのに巻き込まれる市民は、やはり本当にたまらない。
もちろん、ナチの暴走を許したのは、きちんと反対の声を挙げなかった市民たちだから、
責任の一端があるのは否定しない。
日本があの頃のようになったら、僕は抵抗するだろうけど、
起こってしまった責任から逃れる気はない。と思う。あくまで想像でしかないが。
でも、やはりこの仕打ちはあんまりだ。


こうなると、もう、思考が停止してしまうらしい。
ソ連兵の恐怖が、砲撃の音とともに迫りくる。
だが「女性は〝それ〟については、だれも語らなかった」。
そして「奇妙な時代だ」と続ける。
「人は進行中の歴史を体験し、いつの日にか歴史書に記載されるような事柄を体験している。
でも、そのなかで生活していると、すべてが些末な心配事や恐怖の中に埋没してしまう。
歴史ってとてもしんどいものだ。明日はイラクサ採りと石炭拾いに行かなければ」
瑣末という表現も何なんだが、どうにもならない歴史のうねりに呑み込まれた人の、
絶対的な諦念と、非現実感がごたまぜになった言葉が、胸を打つ。


読み終えると、疲労感と、絶望感に襲われる。
人間ってこんなもんなのかな、と。
いや、みんなこうじゃないだろうけど、ボスニアヘルツェゴビナとか、イラクとかで、
規模や程度の違いこそあれ、繰り返されてるわけだし…
知っておくべきこと、ではあると思うが、げんなりしてしまった。
まあ、読む前から予想はしてたんだけど。
知っておくべきだけど、知りたくない、イヤな秘密に触れてしまった気分だ。
ううむ、まとまりがつかない。