独創性って何だろう

文春文庫でも出ています♪

アントニー・ビーヴァー「ベルリン陥落1945」が全然読み終わらない。
だから、本日レビューは特別なし。
その代わり、というわけでもないが、日曜なので、朝刊各紙の書評を読みあさる。
村上春樹アフターダーク」がほとんど各紙に載ってる。
村上春樹自体を読まないので、感想は「ふーん」でしかないんだが、
こんなに各紙、足並み揃えなくても、いいのにな、とも思ってみる。


産経新聞とか久しぶりに読んだんだが、俳優(だと思うが)児玉清がミステリー評を書いてる。
ジェフリー・ディーバーを取り上げていた。それは別に構わないんだが、最近新刊出てたかな?
ちょっと、時期を外している感あり。
それも別に構わないんだが、名作「静寂の叫び」が静寂の叫び (Hayakawa novels)
ボーン・コレクター」を始めとするリンカーン・ライムシリーズにされてる。
読んでないでしょ、児玉さん。全然違いますよ。
書評とは関係ないが、プロ野球スト問題がらみの各紙論説を比べてる記事もあった。
「読売は経営者寄り」、毎日は「選手会」、朝日は「やや選手会」とかの最後に、
産経は「双方に歩み寄りを訴えた」とある。
これ、「うちがバランス一番いいでしょ」という手前味噌?
久しぶりに読むと、ホント変わった新聞だな、との思いを強くした。


で、どうして川上弘美「蛇を踏む」ISBN:4163165509か、というと、
日経新聞に連載してる川上弘美のコラムを読んだから。
あるインタビューで「作家の独創性」について尋ねられ「わたしには独創性がない」。
いや、こんなすごい小説を書く人に、独創性がないものか、そう思いながら読み進める。
だって「蛇を踏む」なんて、勤め先への行きすがら、蛇を踏んでしまう。
踏まれた蛇は「踏まれたらしょうがないですね」。そしてどろんと女性に化ける…
出だしだけで、独創性のない人が書いたとは思えない〝不思議度〟全開小説だ。


なるほど、自分の意見と、アンケート結果とかの多数意見と、ほとんど一致するらしい。
子供の頃のエピソードも紹介される。
あるペンギンのキャラクターの愛称公募に応募したら
「多数決で、あなたたちのつけてくれた愛称に決まりました」。
つまり、一番多かった愛称だ。
「ペンちゃん」。確かに平凡すぎて、言葉も出てこない。
あくまで子供の頃の話なんで、これをもってどうこう、というのもヘンだが、
なるほど、川上弘美自身の語る「独創性のなさ」は伝わってくる。


だけど、独創性っていったい何なんだろう、とも思う。
普段の生活で表出する〝変わってる〟部分が、独創性ってことなら、
それって別に、大事じゃないかもしれない。
川上弘美がコラムで言ってる、「独創性」はもっぱら、この日常レベルの独創性。
彼女が小説を書く時の「独創性」とは、まったく次元が違う。
自分の生活を振り返ってみれば、まったくその通りだ。
けっこう〝独創性〟あふれる生活をしてると思う。
言葉を変えていえば、好みがヘンだから、あんまり人と同じことはしてない。
じゃあ、創造力とかあるか、といえば、これが全然ない。
笑っちゃうくらい、ホントにない。困ったもんだが。


何か、新聞のコラム読んで、勝手に自分の限界を知らされてしまったが、
こういうこと考えてみるのはけっこう楽しい。
そして、考えてみたくなるようなコラムを書く川上弘美の文章力に、感慨を覚える。
〝独創性のなさ〟を書いているのに、そこにも彼女ならでは「独創性」がにじみ出る。
やっぱり、この作家さん、本当にすごいな、とあらためて思い知らされた。