「究極」なのかね…「欲しいのはあなただけ」
その勢いを駆って、じゃないが小手毬るいの「欲しいのはあなただけ」
知らない作家だったんだが、オビにまんまと騙される。
「1ページでも読んでいただけたら、最後まで手を止めさせません!!」。
ま、確かに止まらなかったけど、「究極の恋愛小説」はウソだと思う。
話は単純だ。
京都の大学に通う19歳のかもめと「男らしい人」との痛々しい恋愛。
夫と、その連れ子と暮らす29歳のかもめの「優しい人」との渇望に満ちた不倫愛。
ここの「男らしい」「優しい」が、くせものだ。
「男らしい人」は単なる粗野な人だし、「優しい人」はウソつき。
わざと、こういう書き方をしてるんだろう、というのが伝わってきて、ここらへんは面白い。
ただこの小説、テーマそのものがそうなのか、ストーリーの作りがいまいちなのか、
どちらとの恋愛も、強烈な自己愛の裏返しにしか見えないのが、難点だ。
まず、「男らしい人」は殴るし、横暴な関西人。いや、関西人だから悪いんじゃないが、
関西人のイヤな気質(と、僕が思ってるものと一致する)そのものがにじみ出る。
どう見ても、かもめが、マゾヒスティックな気分に浸ってるだけに見える。
その割に、相手が「男らしく」責任なるものを持ち出してくると、一気に醒める。
で、解消するために、けっこうトンでもない手段に出てしまうのだ。
思わず、えっ、って感じで前半が終わる。
「優しい人」なんか、双方不倫なんだが「いつか家内とは別れるから」という、
もうベタ過ぎてなかなか使えないくらい、クラシックにつまらない男だ。
個性が欠如してる分、ある意味「男らしい人」より惹かれる理由がわからない。
それでも、かもめはいいのだ。
わたしを夢中にさせたのは「心逝くまで好きな人を思い、その思いを生きる」
で、いまはその頃を思い出すのだ。
「遠い昔に、わたしはそれを生きた。そしていまも生きている。
地の果てで、独りぼっちの不完全な死体として」。
いや、いいですよ。そりゃ、自己満足こそが、究極の満足かもしれないから。
しかし、それ、恋愛じゃないと思う。だって、相手の存在を、実質的には認めていない。
あくまで、相手を利用した、自己完結に過ぎないのだ。
かもめの毀れた感じは、そこそこ雰囲気が出てるので、すらすらは読めるんだが、
まあ、行間も広いし、パッと見、字の詰まってない〝白めの〟本だから、
読みやすいのも当たり前かもしれないし。
とにかく、「究極の」とかつけられると困るんだよな。読んじゃうから。
そんな不満を抱きつつ、本を閉じた。いけね、また同じ締めになっちゃった。