絵空事じゃない「劇場型捜査」
増え続ける「劇場型犯罪」の、向こうを張って警察が仕掛ける「劇場型捜査」。
テレビで公開捜査を呼び掛け、犯人に告げる。「お前はもう包囲された」。
ニュースショーでキャスター顔負けの立ち回りを演じる、
捜査責任者の巻島は、世捨て人同然の刑事。
7年前の児童誘拐で大失態を犯し、責任を問われた記者会見で逆ギレをかました。
メディアのヒステリーの恐ろしさを誰よりも知る男だ。
犯人は、児童を誘拐し、殺害しながら「世直し」を謳う、自称「バッドガイ」。
数少ない手がかりは、犯行の度に送られてくる手紙。
手詰まりになった捜査を、打開すべく、警察は前代未聞の手に打って出た。
こうした捜査スタイルは、アメリカではもう現実に行われた例もあると聞くし、
日本でも「警察24時」みたいな番組は、つねに高視聴率をマークしているという。
独善的なメディアの暴走とか、ヒステリーとか、非常にうまく描けている。
マイケル・クライトンの小説にも通じる部分がある。
十分なリサーチがもたらす、リアリティが、小説にパワーを与えている。
ただ、これだけで終わると、まさしくクライトンだ(近作に限る。過去の傑作は別)。
この小説のいいところは、巻島を始めとした登場人物にも魅力があるところだ。
作品を通じて、常に横たわるテーマは、
巻島が過去の失敗にどう向き合うか、にある。
これを、前回の事件でケツをまくった元上司や、
キャリアの若造、苦労人の同僚刑事とのエピソードにからめて、詳細に描いていく。
小説の持つスピード感と、感情描写の味わいのバランスもいい。
もちろん、児童の誘拐殺人を取り上げた小説の後味がいいわけもないが、
純粋にエンタテイメント小説の世界、として考えれば、それも許容範囲だ。
ただ、それでも「最高に面白い小説だ」と言い切れないのが、
この作品のつらいところだ。
「こういう出来事、いつ起こってもおかしくない」は、
必ずしも、褒め言葉ではないと思う。
ドラマを越えた壮絶な現実世界と比べて、もう意外性がない。
もう文字通り、絵空事ではない、のだ。
形こそ違えど「劇場型捜査」の時代は、もう目の前なのかもしれない。