敷島シネポップで「シッコ」

mike-cat2007-09-04



〝ムーア先生、急患です。
 テロより怖い、医療問題。〟
「ボウリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」の、
マイケル・ムーアのこんどのお題は「医療」。
問題まみれで、それこそビョーキ(SICKO)な、
アメリカの医療制度を相手取り、ムーアの叫びと〝茶化し〟がさえ渡る。


アメリカの医療制度は病んでいる。
先進国では唯一、国民皆保険制度が存在しないアメリカ。
5000万人が医療保険に加入せず(できず)、
低所得者向けに政府が運営するメディケアも、
あまりに厳しい加入条件で、ろくに機能をしていない。
HMO(健康保険維持機構)という、健康保険システムは、
その最大の目的を、医療費を抑え、保険会社に利益をもたらすことに置く。


加入する保険会社のドクターに診察を受け、許可が出ないと治療が受けられない。
意識不明の重体だって、救急車は事前許可が必要、
製薬会社の利益確保のため、大量処方される薬で、
一般家庭では自己負担額が膨れ上がり、自己破産させられる例も。
保険で当然負担されるはずの医療費ですら、何かと理由をつけて払わない。
世界でいちばん豊かな国だったはずのアメリカで何が起こっているのか―


恐ろしいお話である。
ことは、保険のない人の話ではない。
まともに保険に加入している人間ですら、この惨状。
矛盾と欺瞞に満ちたアメリカの医療制度には、SFホラーなみの恐怖を覚える。
保険会社の基本方針は、「いかに医療を施さないか」。
そのためには、どんなことでもやってのける。
治療拒否を連発し、多額のボーナスと昇進を手にする医師、
加入者側の瑕疵を見つけだし、医療費不払いを実現する必殺仕事人、
医療費を払えない患者を、タクシーで捨てて回る病院関係者…
モラルハザードを越えたモラルハザードの世界がそこには展開する。


アメリカの金権主義って本当に怖いな、なんて他人事ではいられない。
日本の目指す医療制度も、基本的にはこれに近いという。
民営化、市場開放、規制緩和という甘い言葉の裏で、
生命にかかわる一番大事な部分が、カネ次第の商売に変わっていく。
映画の中で紹介された、悲しすぎる光景が、
自分の身に起こり得ると思うと、ゾッとするどころの騒ぎではない。


ムーアがこの映画を思いついた原点というのもなかなか興味深い。
アメリカ国内で、国民がろくな医療すら受けられないのに…
それどころか、あの9・11でボランティアとして活躍した英雄たちが、
現地にいたことを証明できない、と因縁をつけられ(審査の必要性はあるが…)、
体を蝕まれたまま、ろくな医療も受けられず、職を失い、苦しんでいるのに…
そのテロリストたちは、グアンタナモの収容所で最高の医療を受けている。
この、信じられない矛盾。
もう悪質なジョークとしか思えない。


なんて思っていたら、ちょっと思い出した。
少し前、日経(確か8/12付)で読んだ記事にも、そんなような例があった。
舞台は戦後の日本。
嶋田繁太郎海相の獄中日記によるものだが、
巣鴨プリズンで収容されていたA級戦犯は、
食うや食わずで飢え死にする人もいた1948年1月当時、
肉・魚に、野菜にスープ、コーヒー、紅茶に、
何とデザートまでついた?豪華な食事?を取っていたという話である。


という矛盾の話はさておき、とりあえず、元に話を戻す。
そんなグアンタナモの基地に突撃するムーアの姿は、
いつも通りの手法ではあるけど、やっぱり魂にグイグイ訴えかけてくる。


ところで、マイケル・ムーアというと、
よく反対派がそのドキュメンタリー手法を取り上げ、批判を展開する。
お笑い的な切り口や、問題点のクローズアップの仕方など、
いわゆる純粋な論文的視点で言えば、褒められない部分も多いだろう。
このパンフレットでも、デーブ・スペクターが、
「本来入れるべき事実やデータを意図的に落として作品を作っている」と批判している。


さらに、アメリカの医療技術や製薬技術は世界一で、
金持ちは海外からアメリカに手術を受けに来る、と論理を展開する。
しかし、これこそ論理の入れ替えである。
ムーアが訴えているのは、アメリカの医療・製薬技術が最高なのに、
一般国民はこんな状況だ、というそういう矛盾を突いているわけで、
スペクターの指摘はあまりにも的外れとしかいいようがない。
だが、実際「反ムーア論者」の手法はこれがけっこう多い。
捜査上のごく細かい瑕疵を突いて、
明らかな人殺しを無罪にしてしまうアメリカの司法制度にもよく似ている。


ドキュメンタリーの手法として、問題はもちろんあるのだろうが、
ここに訴えかけられる基本的なメッセージには誰も異論はないはず。
なら、そのドキュメンタリー的手法をどうこう言うより、
そこから導き出せる問題点や矛盾、そして改善点を論ずるのが、
まともな倫理の持ち主のやることではないだろうか、と思うのだ。


少なくとも、この映画のメッセージには、重要な意味はあると思うし、
風刺としての鋭さや笑いもきちんと織りこまれ、娯楽性も十二分。
細かい点を論って、伝えるべき、伝わるべきメッセージを無視するより、
その手法の問題点は考慮に入れるにしても、
きちんとメッセージを受け止め、考えることから始めるべきだろう。
そんなわけで、とにかくまずはいろいろ考えさせられる映画。
これまでの作品同様、やはり必見、なのである。