なんばパークスシネマで「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」


米国版DVDで鑑賞済の1本だが、
自分の語学力では(英語字幕ありでも)完全に理解したという自信もないので、
再び観に行くことのする。それも公開日、やっぱりきなのか?


前回観たときは、あまりの悪趣味さと際どさに驚くばかりだったが、
もう一度観て、あらためて感じるのは、その確信犯的な手口の数々…
極端なジョークで議論を喚起する、なんて高尚な意図はあるのかないのか不明だが、
やはりサシャ・バロン・コーエンの狙いは、そう単純な図式では割り切れない。
少なくとも、出演させられたわけでもないに勝手に憤慨している、
評論家の肩書きに値しない映画評論家(お×ぎとか…)の指摘が、
どれだけ稚拙で浅はかなものであるか、はよく見えてくる。


特に×すぎは、週刊文春
「これを楽しめる人はどこか人間的な欠陥があると思います。
 それほどクダラない差別満載なのです。見た自分が恥ずかしい」と、
まあ、よほどあんたは完璧な人間なのでしょうね、
という単なる感想(これは、評論じゃない!)を垂れ流している。
だが、次々と繰り出されてくる差別ネタの数々が、差別を意図しているのか、
それとも、差別ネタを通じた風刺や、逆差別をあぶりだそうとしているのか、
というところまで考えれば、単純に差別満載と切り捨てていいのか、一目瞭然だ。
もちろん、この映画はくだらない。
くだらないけど、どこか悪趣味な笑いを誘うのも確かだ。
それをもって欠陥がどうこういうバカには、それこそ欠陥があるとしか思えない。


ま、そんな評論すらできないタレント(むろん、“才能”もないが)はともかく、
シャレにならない部分も含め、一見の価値はある、まさしく問題作。
お下劣バンザイ! が好きな方には、間違いなくお勧めだし、
お上品な方々にも、映画を通して見えてくるさまざまな部分を読みとって欲しい、
そんな、応援もしたくなってしまう、不思議な魅力もある作品であると思う。