敷島シネポップで「ラストキング・オブ・スコットランド」

mike-cat2007-03-15



〝何よりも恐ろしいのは、人間の本性〟
ジャイルズ・フォーデンの原作「スコットランドの黒い王様 (新潮クレスト・ブックス)」を、
「運命を分けたザイル」ケヴィン・マクドナルド監督で映画化。
食人大統領、と恐れられたウガンダの独裁者、イディ・アミン
大統領にまつわる実話をベースにした物語だ。
主演のフォレスト・ウィテカー「クライング・ゲーム」「バード」)が、
アカデミー賞を始めとした各賞をほぼ独占したことでも話題を呼んでいる。
共演は「ナルニア国物語」のタムナスさん、ジェームズ・マカヴォイに、
「X−ファイル」のエージェント・スカリー、ジリアン・アンダーソン


時は1970年。スコットランドの若き医師、ギャリガン=マカヴォイは、
冒険を求め、ウガンダの小さな村ムガンボへ、医療ボランティアで出向く。
クーデターで政権を掌握したばかりのイディ・アミン=ウィテカーとの偶然の出会いで、
すっかり気に入られてしまったギャリガンは、大統領専属医師として取り立てられる。
人々を魅了するアミンのカリスマ性に引き込まれたギャリガンは、
いつしかアミンの政治顧問の一人として、重用されていくのだった。
しかし、おさまらない政情不安が、アミンを狂気の世界に取り込んでいく。
ようやくアミンの本性に気づいたギャリガンだったが、もう後戻りはできなかった―


すさまじい、という言葉がもっともしっくりくるかもしれない。
人々を魅了するカリスマ性と、凶暴な狂気を兼ね備え、
30万人とも50万人ともいえる人々を虐殺した、稀代の独裁者アミンがスクリーンに〝再現〟される。。
ウィテカーの存在感、そして演技には、ただただ圧倒されるだけだ。
あの善人そのものの人懐っこい瞳が、狂気を帯び、血走った虐殺者に一変する。
それでいて、オーバーアクトというわけでもない。
単なる怪物には終わらせない深みのある演技が、とても印象的だ。


陽気な「人民の大統領」が、妄想に駆られた大量虐殺者に変わっていく過程を、
丹念に、そして不気味に描いた、ストーリー展開にも、見どころは十分にある。
単なる欧米中心史観とは一線を画した、アミン像もなかなかに興味深い。
ショッキングな描写もあるが、センセーショナリズムには陥らない。
前評判では「ウィテカーの演技以外は…」との声もあったが、
映画そのものの出来も、かなりのクオリティじゃないかと思う。


そうしたアミン=ウィテカーに魅入られてしまう白人青年を演じたマカヴォイもいい。
はっきりいって、このマカヴォイ青年の軽薄さや、迂闊さというのには、感情移入できない。
できないのだが、その人間的な薄っぺらさこそが、この映画を印象深いものに仕立てているとも思う。
軽い気持ちで出向いたアフリカの地で、思わぬ〝チャンス〟に恵まれ、
ひとかどの人物として取り立てられ、おだて上げられ、〝その気〟になってしまう。
あくまで端で見ていれば愚か者に過ぎないが、実際人間なんてそんなものだろう。
だからこそ、その愚かな行動が招いた結果が、ズーンと胸に響いてくるのだ。


そして、複雑な余韻を残すラスト。
どよんと胸の内に溜まった澱が、何とも言い難い味を醸し出す。
ある種の救いのなさ、だったり、狂気を目撃した戦慄だったり、
稀代の〝悪役〟であるはずのアミンという人物の不可思議さだったり…
答えのでない問いを突きつけられたような、そんな感覚も味わいながら、劇場を後にしたのだった。