難波千日前、敷島シネポップで「フォーガットン」


初めて予告を観た時、スクリーンの端々から漂ってきた〝トンデモ〟臭。
幸か不幸か、その嗅覚が裏切られることはなかった。
宣伝コピーは〝「シックス・センス」以来の衝撃〟
http://www.rottentomatoes.com/m/forgotten/で、元ネタ発見。
"It struck me as the most exciting
 and original Hollywood thriller, occult or otherwise, since The Sixth Sense." 
          -- William Arnold, SEATTLE POST-INTELLIGENCER
確かに衝撃といえば、衝撃だ。ただ、(笑)をつけずにはいられない。
シックス・センス」と比べたらいかんだろ。
もっとも「アンブレイカブル」とか「サイン」なら、そう悪くないかも…


やっぱり〝トンデモ〟映画だ。
それも、かなりケッサクなレベルの。
意味は、〝傑作〟と漢字で書かなかったことで、読み取って欲しい。
でも、ある意味覚悟はできていたし、
過度な期待は一切背負っていなかった分、けっこう楽しめた。
まあ、そういう意味では、正直申告な予告に感謝、といえるかも。
もっと謎めかした予告だったら、「おい! ふざけるな」と怒っていたかな。


じゃあ、そこまで期待をしていなかったくせに、何で観たんだ、ということになる。
単にジュリアン・ムーアが出ていたから。
「逃亡者」とか「ショート・カッツ」の頃から、かなり好きだった。
きりりとした瞳に、薄幸そうな表情。何となくダルめの雰囲気。
ソバカスだらけで、スタイルもあんまりよくないんだが、なぜか色っぽい。
とても不思議な女優だと思う。
アカデミー賞候補の常連だから、いまさら何を、という感じもあるが。


飛行機事故で9歳の息子サムを失ったテリー=ジュリアン・ムーアは、
1年以上が経った現在も、死の記憶に縛りつけられている。
ストレスからか、最近では記憶も不確かで、
駐車場の場所を間違えたり、飲んでもいないコーヒーの味がしてみたり…
ある日、サムの写真を見ようと、引き出しを開けたテリーは、
アルバムがすり替えられ、写真がなくなっていることに気づく。
夫の仕業か? 記憶違いだと訴える夫とともに、
マンス医師=ゲイリー・シニーズのもとを訪れたテリーは、
驚愕の〝事実〟を突きつけられるのだった…


予告ではもっとネタバレしてたけど、一応あらましとしてはこれだけで十分。
あとは、テリーとともに、ひたすら「何で?」「何で?」と、
戸惑っていくのが、この映画の楽しみ方としてはベストだと思う。
もちろん、論理はそこかしこで破綻しているし、
思わず「おい、おい…」と失笑をもらしてしまうような場面もある。
ただ、それでもこの映画は、決して悪くない。


理由は、映画そのもののテンポだ。
ジュリア・ロバーツの「愛がこわれる時」に
マコーレー・カルキンイライジャ・ウッドの「危険な遊び」を撮ったジョセフ・ルーベンが、
必死の表情のジュリアン・ムーアを、うまい具合に転がしまくって、
サスペンスフルな展開を、よどみなくまとめ上げている。
追いつめられ、焦りに焦るムーア一流の演技も相まって、
とんでもない展開にもかかわらず、一定の緊迫感は保たれている。
確かに映画が終わると「ちょっと待ってよ…」と、
笑いをかみ殺しながら反芻せざるを得ないんだが、観てる最中は何とか大丈夫。
それなりに、ハラハラしながら観ることができる。


ほめてんだか、けなしてるんだか、
何だかよくわからない文章になったけど、つまりそういう映画だ。
期待をして観に行けば、かなり裏切られること請け合いだし、
ある程度承知の上で、ユルいこころで観に行けば、けっこう楽しめる。
ちなみにテーマは、母の愛。
かといって、そこにあるのは、感動というより、不屈の精神だ。
ターミネーターか、ゾンビか、と思わせる、テリーの愛情がストーリーの骨子となる。
実際、ありえそうかどうか、というリアリティの問題はともかく、
「人生をすべて奪われていく恐怖」というテーマと、
それに立ち向かう女性の姿を、力強く描いている面は、確かにある。


何か、ほかに観たい映画があるのを、犠牲にしてまで観に行く必要は一切ないけど、
特に観たい映画がなければ、観に行っても悪くない、かもしれない。
あくまで、寛容なこころで観る覚悟があれば、の話だが。