川上弘美「夜の公園」

mike-cat2006-04-29



古道具 中野商店」以来となる、最新小説。
「わたしいま、しあわせなのかな」
〝寄り添っているのに届かないのはなぜ
 恋愛の現実に深く分け入る川上弘美の新たな世界〟
4人の男女の視点で絡み合う恋愛を描く、連作小説だ。


夫の幸夫との関係に違和感を覚えるリリ。
〝リリは幸夫があまり好きではない。
 好きではないというそのことに、いつ気がついたのだったか、リリはうまく思い出せない。
 いったいリリは幸夫の何が好きではないのか。〟
(「リリ、夜の公園」)


幸夫もリリ同様、リリに対して違和感を抱く。
〝女はわからない、と思ったことが幸夫は三十六歳になる今までに、二回ある。
 二回っていうのは、少ないんじゃないか。と、同僚の高木憲一郎は言う。
 少ないのかそうでないのか、幸夫には判断がつかない。〟
(「幸夫、小高い丘の頂上」)


リリの友人、春名だって悩んでいる。
〝ときどき、あたしっていったいどんな人間なんだろう、と春名は考え込む。
 あたしって、ほんとのところ、ものすごくだらしのない女じゃないかしら、とか
 あたしって、ほんとのところ、ひどく空疎な人間なんじゃないかしら、とか〟
(「春名、吹かれる川辺の葦」)


「いいひとね」と、〝恋人〟リリに言われ、暁は戸惑う。
〝暁は何も答えない。「いいひと」になどなりたくないので、
 リリの言葉は少しばかり暁の気をくじけさせる。リリといると、
 いつも暁は、自分がまだ中学生くらいの子供のような気分になる。〟
(「暁、白く曇った窓」)


四人の思いは、絡み合い、すれ違い、いくつかの恋愛を奏でていく。
時に甘く、時に切ない、淡く、儚くも、
静かな余韻を残すような浸透力のある恋模様が、とてもいい感じだ。
リリと幸夫、リリと暁、幸夫と春名、春名と…
それぞれが、じれったく、どこか満たされない、憂いの色を帯びた恋に身をよじらせる。
何というか、〝川上弘美ワールド〟みたいな、独特の世界が展開される。


〝春名はときどき、凪の海のような目をする。いつからだろう。
 いや、リリはそれがいつからか、よく知っている。
 〜
 べったりとした、湿気の多い午後。風の死んだ海岸。そこにじっとうずくまる、春名。
 〜
 そして、凪の海のごとく重くどんよりと静まっていた。〟


〝踏み入らないように細心の注意を払わなければならない開かずの間が、
 暁とリリの間には、いくつもある。
 いつかそれらの部屋の扉を一つを大きく開け放してしまう時がくるのではないかという、
 期待にも似た恐れを、暁はつねに抱いている。〟


〝リリは考える。どうしてわたし、今ここにいるんだろう。
 いくつくらいの選択肢を経て、わたしはここにきてしまったんだろう。〟


「よくわからなくて、でもときどきわかったような気になるんだけど、
 すぐまた暗闇の中に入り込んじゃうの」


細かい説明はあえて省くが、どれもこころにスーッと染み込んでくる、印象的な一節だ。
「こんな恋愛がしたい」という種類の恋愛とは異なるが、
恋愛をしている時にしか感じえない、
苦い感情であったり、ジレンマであったり、閉塞感であったり…
それでも、読み進めてその胸を締めつけられるような感覚をもっともっと味わいたくなる。


古道具 中野商店」「ニシノユキヒコの恋と冒険」や「センセイの鞄 (文春文庫)」のような、
コミカルさも交えた感覚とは、ちょっと違うし、
蛇を踏む」「溺レる (文春文庫)」のような不思議話ともまた違う。
だが、それでも川上弘美の味わいが存分に味わえる、
なるほど、さすが川上弘美! な一冊だったりするのである。

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